巡査と社会主義

提供: 日本社会主義文献類聚
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  • 社会主義者幸徳秋水(1911年没)による評論「巡査と社会主義」の全文である。
  • 底本:『日本の名著 44 幸徳秋水』中央公論社、1970年
  • 底本の親本:週刊『平民新聞』 第6号 1903年12月20日
  • 用字・仮名遣いは底本に従った。


巡査と社会主義

 奮起せよ、巡査諸君。立ちあがれ、全国各地の巡査諸君。いまや諸君が、大いに奮起しなくてはならない大事なときではないか。諸君の生活のために、諸君の幸福のために、諸君の権利のために、そして、ほんとうに正義・人道のために、である。

 諸君。諸君の奉持するところは、いわゆる「人民保護」のお役目である。四千万人民の生命・財産の安全は、諸君の双肩にかかっている。諸君の地位は、名誉である、といわなくてはならない。諸君の職分は、高貴である、といわなくてはならない。この地位・職分が、多大の尊敬にあたいしているかどうかは、あらためて議論する必要もない。それなのに、一般の市民が諸君に向かって、ほんとうにどれだけの尊敬をはらっているか、疑問である。いや、一般の市民は、巡査の存在をもって、けっして名誉とし、高貴としていないばかりか、かえって、腹のなかでは、多大の侮辱と軽蔑とをもって、諸君をあしらっているのは、なんということであるか。ひとり、一般の市民が、諸君を侮辱し、軽蔑するばかりでなく、諸君自身さえもがまた、その地位にあまんじ、職分に満足し、生涯を通じて巡査に終始することを欲し、その子孫までを巡査にならせようとのぞむ者が、まったくないのは、なんたることか。ああ、このような矛盾は、なにによっておこるのか。

 ああ、このような矛盾は、なにによっておこるのか。この疑問をきれいにときたいと思うならば、諸君は、まずみずからの存在を知らなくてはならない。諸君の地位・職分は、このように名誉・高貴であるにもかかわらず、しかし、生活の一面からこれを観察すると――どうか、われわれの直言をゆるしてもらいたい――諸君もまた一個の労徴者であることを知らなくてはならない。さよう、もっとも不幸な労働者であることを知らなくてはならない。なにを根拠にして、そんなことをいうのか。地代で衣食し、利息で衣食することなく、その労働の結果によって衣食する者は、官吏であると、職工であると、農夫であるとに関係なく、すべてが一個の労働者ではないか。そして、諸君、巡査諸君は、うたがいもなく、そのもっとも典型的な肉体労働者ではないか。見よ。諸君の労働は、早朝に家を出て、徹夜の勤務が翌日の早朝にいたるので、長時間労働でない、ということができない。炎天にさらされ、寒風に身を切られ、立ちどまっては 徘徊 ( はいかい ) し、徘徊してはまた立ちどまる単調な終日・終夜の勤務は、苦痛でない、ということができない。ときには洪水・猛火のなかに突入し、ときには、白刃・砲弾をくぐって突進するので、危険でない、ということができない。ただ一言でも、上官の怒りにふれ、すこしでも法規に違反した行為があれば、すぐさま職をとりあげられて、窮境に泣くのだから、不安でない、ということができない。そして、その収入を聞いてみると、......われわれは、ほんとうに気の毒で、公表する気がしないのである。いまや、日本の各種労働者のすべてが、その境遇の悲惨でないものはなく、その生活の困難でないものはないのであるが、しかし、その地位・職分の名誉・高貴であるのにくらべて、その境遇・生活の悲惨・困難な点で、巡査諸君のようにひどい例は、まだほかにないのである。ましてや、他の労働者にいたっては、まだ思想の自由をもっている。言論の自由をもっている。運動の自由、住居の自由をもっている。諸君にいたっては、精神的に物質的に、ふたつながらその自由がまったく束縛されて、ほとんど一個の奴隷とちがうところがないのではないか。ほとんど一個の機械とちがうところがないのではないか。これが、一般の市民が諸君を待遇するのに、社会的な尊敬をはらわず、反対に、侮辱・軽蔑をもってむかえる根本の理由ではないか。われわれは、この点に思いいたると、ひとりでに諸君のために、一しずく同情の涙をながすような気持になってくるのである。

 ああ、このような苦痛、このような束縛、このような窮乏は、諸君の我慢のできる範囲なのか。このような侮辱、このような軽蔑、このような不幸は、諸君が忍耐できる範囲なのか。それが、虫ケラ同様の無知な奴隷であるならば、仕方がない。かりそめにも、自由と権利と名誉と幸福とを理解する、知識あり、教育あり、訓練ある者として、どうして大いに奮起しなくてよい道理があるだろうか。諸君は大いに奮起して、諸君の名誉ある地位にふさわしい幸福をどうしてつかみとらないのだろうか。諸君の高貴な職分に相当する権利と自由を回復しないのか。そして、その苦痛・危険な労働にむくいる根本策をもとめないのか。その不安な生活を保障する根本の方法をめぐらさないのか。われわれは、官吏としての諸君に向かっては、なにも期待するところがない。けれども、われわれは、われわれの兄弟である労働者としての巡在諸君に向かっては、真剣にその環境・生活の改善のために、大いに奮起することを勧告する。

 それならば、諸君は、諸君の環境・生活の改善のために、なにをしたらいいのか。ほかでもない。今日のいわゆる労働問題を解決することである。
 さよう、労働問題は、ひとりツチをふるい、クワをとり、カジ棒をにぎる人びとだけの問題ではない。同時にまた、まぎれもなく、巡査といわれている労働者の問題である。これは、まことに諸君自身の問題である。労働問題は、労働者が自分で解決しなくてはならない。諸君の問題は、諸君が自分で解決しなくてはならない。そして、諸君がほんとうにことを解決したいと思うならば、まず労働問題の真相を研究する必要がある。これを研究するならば、諸君はかならず社会主義実行の緊急性・必要性を痛感するようになるだろう。そして、社会主義実行の方法をさがしもとめた場合、諸君は、かならずその方法が多数の団結にあることを理解するだろう。多数の団結が、ここにできあがるならば、強大な勢力が、ここからうまれてくる。現在の労働階級のなかで、もっとも教育のあり、知識のあり、訓練のある諸君が、ひとたびこの多数団結の勢力をたのんで決起するならば、全日本の労働者が、おおぜいあつまってきて、諸君のあとにっいてくるだろう。そして、将来、社会改革の急先鋒をつとめた栄誉ある月桂冠が、諸君の頭上をかざっているだろう。いや、ひとり諸君の名誉のためばかりではない。諸君の兄弟のためである。子孫のためである。世界の正義・人道のためである。
(週刊『平民新聞』6号・明治36年12月20日「奮起せよ巡査諸君」)


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