君主観

提供: 日本社会主義文献類聚
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  • 社会主義者木下尚江(1937年没)による評論「君主観」の全文である。
  • 底本:林茂・西田長寿編『平民新聞論説集』岩波書店、1992年
  • 底本の親本:週刊『平民新聞』 第3号 1903年11月29日
  • 用字・仮名遣いは底本に従った。


君主観

 △国民思想進路の障碍しやうがい

 我国民思想界にける疑団の一は、君主権に対する明快の説明を得ざることにり、過般高等文官試験の問題中にも『統治の主体が国家なりとの説と皇位なりとの説の可否』と言へるがありき、けだし今日の進歩せる国法学上の立場よりすれば、統治の主体が国家なりとのことはほとんど疑団なき所なりといへども、かも日本国民の情感はこれよつて満足することあたはざるものゝごとし、『君主』に対する観察点たゞに二三のみにあらず、
 一、政治上の君主あり、
 一、国法上の君主あり、
 一、道徳上の君主あり、
 一、宗教上の君主あり、
 各方面に於ける異色の思想観念にして一層高上なる統一点を発見し、もつて円満なる調和をるに非ずんば、君主論の争議は終了を告ぐること能はざるなり、『国家主体』テフ国法学上の統治説はいまだ以て『君主』テフ廬山ろざんの全景を尽したるるのとふべからず、今日の日本を産出せる明治の維新は『天子』『神裔しんえい』など言へる一種宗教政治の信仰を動機としたるものにして、国民最大部分の感情は皇帝崇拝に依てわづかに満足を得つゝあり、の『君主々体』説あるひは『皇位主体』説が曲学阿世きよくがくあせいと指弾せらるゝにかゝはらず、ほ隆々として勢力をほしいままにする所以ゆゑんなり、

 △道徳的君主観の旧套きうたう

 れ活動的政治の実相をきたれば、日本の主権が多く皇室を離れて武門に在りしことを疑ふものあらざるべし、しかども国法学はほ且つこれ𦇯縫びほうして是れ一時的委托ゐたくに過ぎずと弁ず、蓋し、国法学の見る所は形式なり、今日『君権』に関する思想の満足を得んとして国法学上に相争ふが如きは、偶々たま/\以て国民の心裡しんり自発の新思想なきことを反証するものに非ずや、国民自発の新思想なきことは、之を道徳的君主観、宗教的君主観の殆ど毫末がうまつ進歩なきに徴して断言することをはゞからざるなり、
 試みに之を、国家主体説を唱道して以て君主々体説あるひは皇位主体説を排斥する国法学者にるに、の国法的君主観の進歩せるにかゝはらず、道徳的君主観の依然旧套きうたうを脱せざるもの、比々皆なしかるにあらずや、ゆゑに彼等の進歩せる国法的君主観る必竟ひつきやう異邦学者に模倣せる論理上の智識ちしきにして、いまだ以て自家熔炉ようろ中に融解せる熱気ある思想の発動といふべからざるなり、

 △づ宗教観を解剖せよ

 我が博識なる学者と一般国民とが『君主』論の前に恐怖逡巡しゆん/″\するの一事は思想開発上の至大障碍しやうがいたり、是れ疑問の最奥たる宗教的君主観にむかつて解剖の利刀を試せるものなきがめに非ずや、余は大方識者の教訓を得んが為めに、篇をへて卑見を吐露する所あらんとす、
(第三号 明治三十六年十一月二十九日 二頁)


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