ケネディとアメリカ帝国主義

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  • 1964年3月10日の『アカハタ』に掲載された「ケネディとアメリカ帝国主義」の全文である
  • 底本:日本共産党資料館
  • 底本の親本:『日本共産党重要論文集』第1巻下 日本共産党中央委員会出版部 1965年
  • 初出:「アカハタ」1964年3月10日号

一、ケネディ美化の大合唱

 最近数年間の情勢のいちじるしい特徴の一つは、全世界の平和、民主勢力にたいして、アメリカ帝国主義を美化するさまざまなイデオロギー攻撃が反動勢力によって計画的に組織されていることである。その攻撃はケネディ大統領の登場以後、いよいよ組織的かつ大規模のものとなり、とくに1962年10月の、「キューバ危機」と1963年7月の部分的核実験停止条約締結を機にいっそう強化され、63年11月のケネディ暗殺によって文字どおり最高潮に達した。「自由」と「進歩」の旗を掲げた、この「若く勇気ある大統領」は、「自由陣営」内部の頑固な冷戦派や極右派の強い抵抗とたたかいつつ、外交路線の上では、アメリカの軍事力の再編強化による「力の均衡」の維持という背景のもとで、「キューバ危機」が劇的に明らかにした「人類絶減の危機」に対処すべく勇敢に米ソの「平和共存」の模索にふみきり、ついにその「歴史的第一歩」としての部分核停条約をかちとったし、国内政策の上では、アメリカ民主主義の恥部としての黒人問題をとりあげ、人種差別廃止のために敢然としてたたかいをいどんだ。そしてケネディはこの「偉業」の半ばにして倒れたが、かれの掲げた「偉大な理想の灯」は消えず、その後継者によって必ず引きつがれるにちがいない――等々といったたぐいのケネディの美化、したがってまたアメリカ帝国主義とその内外政策の美化が、最大級の美辞麗句とあらゆる変奏をともなって、洪水のように氾濫した。この「大合唱」には、日本のいっさいの反動派だけでなく、右翼社会民主主義者や反党修正主義者も加わっている。たとえば反党修正主義者内藤知周一派の機関紙『新しい路線』(63年11月25日号)はつぎのように書いた。

「ケネディの凶死の客観的意義は明白である。かれは国際緊張緩和と人種問題で決断力を示したために犠牲とされたのである。これは平和共存への前進に加えられた一つの打撃である」。

 同じく反党集団春日庄次郎一派の声明「ケネディ暗殺にあたって」(『構造改革』63年12月号)はつぎのようにのべた。

 「ケネディ暗殺の報が伝わるや、全世界は文字通り震撼し、ただちに深い哀悼の意思表示が全人類的規模でおこなわれたのも、ケネディの死が、平和共存と冷戦緩和をめぐる今後の情勢の発展に重大な関係をもつためである。世界諸国民の哀悼の底にある決意は、ケネディがフルシチョフとともに一歩を踏みだした路線を継続し一層前進させ、平和共存への道をかちとることにこそある」。

 そして、現在の情勢のもう一つのいちじるしい特徴は、平和、民主勢力の内部にもまたケネディ礼賛と美化の大合唱にくわわる一翼があらわれ、無視することのできない、一定の思想的、実践的影響をおよぼしはじめていることである。もちろんこの場合のケネディ美化は、単純な手放しの礼賛の形をとってはいない。それは、ケネディ政策のなかには、「中国封じ込め政策」のような「悪い」帝国主義政策と別に、「冷戦緩和」という「よい」平和共存政策があったとする「善悪二面論」、あるいはケネディが同じ帝国主義者でも好戦的反動派と区別しなければならない「よりましな理性派」だったとする一種の条件つき美化論である。

 たとえば日本社会党の機関紙『社会新報』(63年12月8日号)は、「ケネディ政権はうたがいもなく帝国主義政権だが、破滅的な戦争への緊張を推進する反動派とはことなる“現実派”である」と規定しつつ、典型的な「善悪二面論」を展開している。だが、同紙の『解説』が、「ケネディ外交には、平和を願う人びとにとって“明暗”をつくっている二つの面が、表裏一体となっていたとはいえ、国内右派の強硬分子をおさえて、強引にフルシチョフとの個人的な話し合い外交を促進した所にケネディ外交の時徴があった」と結論していることが示すように、ケネディ政策のなかに少しでも本質的な意味で平和をめざす「よい側面」が存在していたことを認める「善悪二面論」は、実際には、冷戦政策というもう一つの「悪い側面」を、あるいは国内の冷戦派を説得するために必要とされたやむをえない「偽装」、あるいはアイゼンハワー政府から引きつがざるをえなかった「残存物」とみなそうとする立場に絶えず落ちこまざるをえない。そしてそうすることによって、結局はケネディ政策全体の本質的特徴を平和政策への転換に求める立場に転化している。これは帝国主義の本質が、戦争と侵略、抑圧と反動にあるとするマルクス・レーニン主義と鋭く対立する正反対の議論である。このことは、帝国主義にたいするいかなる条件つき美化論も容易にその本質的美化論に転化するし、また転化せざるをえないことを示している。

 ところで、われわれマルクス・レーニン主義者にとってきわめて重大なことは、このような、ケネディとアメリカ帝国主義の本質的美化に通ずる条件つき美化論が、社会民主主義にあるだけでなく、こともあろうに国際平和運動や国際共産主義運動の一部に生まれている事実である。

 たとえば、昨年11月に開催された世界平和評議会ワルシャワ会議における議長報告では、「ケネディは『冷戦』の困難な時期に大統領に就任しました。そしてかれは、アメリカの政策の継続として、不可避的に冷戦に手を貸しました。しかしかれは在任中に、その政策から明らかに遠ざかりました」と評価されており、ヨーロッパの一代表からはその死にたいする黙とうが提案され、一部の代表は「平和の敵」はアメリカ帝国主義ではなく「戦争」であって、アメリカ帝国主義にたいして平和闘争のホコ先を向けるべきではないという驚くべき主張をおこなった。また一部のマルクス主義者は、ケネディを、国際情勢を現実的に評価し、世界の緊張緩和と米ソ間の関係改善に努力し、冷戦の諸問題の話し合いによる解決に大きな貢献をおこなった「卓越した政治家」として高く評価している。

 だが、ケネディこそは、まさにほかならぬ戦争と反動を本質とするアメリカ帝国主義の最高指導者の一人だったのである。だとすればケネディの政策の美化は不可避的に、「最大の国際的搾取者」であり、「世界反動の主柱であり、国際的憲兵であり、全世界の人民の敵」であり、「現代帝国主義の経済的、金融的、軍事的主力」であり、「侵略と戦争の主勢力」であり、「今日の植民地主義の主柱」である「アメリカ帝国主義」(『81ヵ国共産党・労働者党代表者会議の声明』、日本共産党中央委員会出版部発行パンフレット、8、9、12、33ページ)を美化することとならざるをえない。

 そして、第1次世界大戦に際して、「祖国擁護」に賛成して帝国主義の側に移行した第2インタナショナルのカウツキーやプレハーノフ、第2次世界大戦に際して、アメリカ帝国主義との階級協調を説教してマルクス主義を裏切ったアール・ブラウダー、第2次大戦後、帝国主義と社会主義を同列においた「積極的共存論」をふりかざして帝国主義を免罪したチトーやカルデリなどの実例が明示しているように、帝国主義の評価と帝国主義にたいする闘争の評価とは、マルクス・レーニン主義者の試金石の一つであり、マルクス・レーニン主義と修正主義とを分ける根本的な分水嶺の一つである。アメリカ帝国主義とその指導者を美化し、アメリカ帝国主義との闘争を回避するいっさいの議論は、マルクス・レーニン主義を修正してそれを帝国主義の弁護論に変え、労働者階級とその前衛たる共産党を武装解除し、帝国主義の戦争と侵略、抑圧と反動の政策に反対して、独立、平和、民主主義、社会主義のためにたたかっている世界人民の闘争にとりかえしのつかない損害を与えることとなる以外にないことはあまりにも明らかである。

 ケネディ暗殺後、その礼賛の大合唱のなかで、われわれが改めてアメリカ帝国主義の評価とその「二面政策」の本質を総括し、アメリカ帝国主義との闘争を回避しようとする日和見主義、修正主義理論の犯罪的役割を暴露するのは、「モスクワ宣言」と「モスクワ声明」の革命的原則をまもり、国際共産主義運動とすべての人民運動の内部からアメリカ帝国主義美化論を最後の一かけらまで一掃しつくすことが、全世界の人民の共同の事業の偉大な勝利にとって絶対に欠くことのできない緊急の任務となっていると確信するからである。

二、アメリカ帝国主義の両翼分化論

 一部のマルクス主義者のケネディ美化論は、まず「アメリカ帝国主義の両翼分化論」と名づけることのできる、つぎのような議論によって基礎づけられている。

  • (1)社会主義体制の成長、植民地体制の崩壊、平和、民主勢力の強大化などによる国際的な力関係の変化と、熱核戦争の「破滅的結果」が明らかになったこととの二つの要因の作用によって、アメリカ帝国主義の支配層の内部には、戦争と平和の問題をめぐって重要な意見の分化が生まれている。
  • (2)一方の翼には、変化した世界の現実を冷静に評価し、世界熱核戦争をどうしても避けねばならないと考え、核戦争に代わる道として両体制の平和共存の道を探求しようとする帝国主義の「理性的な層」が生まれつつある。アイゼンハワーとケネディは、帝国主義者のこの翼を代表する政治家とみなすことができる。
  • (3)他方の翼には、帝国主義のもっとも侵略的、好戦的、冒険主義的な層が依然として存在しており、かれらは世界を熱核戦争の淵に投げ込みかねない危険な冷戦政策に固執しつづけている。ジョン・バーチ協会、クー・クラックス・クラン、マッカーシーの残党やゴールドウォーター一派、反動的人種主義者、ペンタゴンの反動的軍国主義者、民主・共和両党内の右翼等々が、これらの極右派の代表である。ケネディ暗殺の背後にあるものもこれらの勢力にほかならない。
  • (4)したがって世界の平和、民主勢力の平和擁護闘争における中心任務は、熱核戦争を防止するために、前者の翼を代表しているアメリカ政府と話し合いによる交渉をかちとり、後者の翼を孤立させ、両体制の平和共存を制度的に確立することにある。

 一見もっともらしい体裁をととのえたこの種の議論は、現在の国際情勢と帝国主義の本質とにたいするまったく誤った評価にもとづく最悪の日和見主義であって、マルクス・レーニン主義となんの共通点もない修正主義理論である。

 第一にこの「両翼分化論」は、同じ独占資本主義という経済的土台の上に、ある場合には帝国主義的な冷戦政策が、他の場合には非帝国主義的な平和共存政策が成立しうるとするカウツキー流の帝国主義弁護論にほかならない。

 社会主義世界体制の成長強化、植民地的奴隷制度の崩壊の進行、資本主義世界における階級闘争の激化と結びついた資本主義の全般的危機の深化と帝国主義の諸矛盾の先鋭化とは、たしかに帝国主義の政治的上部構造にも深刻に反映し、帝国主義支配層のあいだにも、さまざまな葛藤と矛盾を生みだし、深刻かつ複雑な意見の分化をつくりだしている。その矛盾と利害の対立を見ず、すべての帝国主義国と帝国主義者を一色に塗りつぶすことは大きな誤りであろう。かれらの内部の割れ目の利用は、平和、民主勢力にとってきわめて重要な意義をもっている。レーニンはつぎのように教えている。

「国際ブルジョアジーを打ちたおすための戦争をするにあたって、すなわち国家間の普通の戦争のうちのもっとも頑強な戦争よりも百倍も困難で、長期にわたる、複雑な戦争をするにあたって、迂回政策をとること、敵のあいだの利害の対立(たとえ一時的なものでも)を利用すること、可能な同盟者(たとえ一時的な、確実でない、ぐらぐらした、条件つきのものでも)と協調し妥協することを、まえもって拒絶するのは、度はずれにおかしいことではなかろうか?」(「共産主義内の『左翼主義』小児病」、邦訳レーニン全集31巻 57ページ)。

 しかし敵のあいだの意見の分化や対立の評価をゆきすぎたあまり、それを冷戦政策と平和共存政策との本質的な対立であるとみなすに至るならば、それは「敵のあいだの利害の対立」を敵と味方とのあいだの越えることのできない対立と同列視し、敵の内部矛盾を根本的な階級的矛盾と同列視するという、比較にならないほど大きな誤りとなる。なぜなら、帝国主義者のあいだの意見の分化とは、本質的には、あくまでも帝国主義という同じ経済的土台に照応した範囲内での、社会主義に敵対し、労働者階級と植民地従属国の人民を抑圧し搾取する階級的本質の範囲内における、敵のあいだの部分的な意見の衝突と利害の対立にすぎず、戦争と侵略、抑圧と反動という帝国主義政策をどちらの政策がもっともうまく遂行することができるか、どちらの独占グループに最大の利益をもたらすように推進することができるか等々についての戦略と戦術、方向と形態などの差異でしかないからである。事実、戦後アメリカ帝国主義内部に起きた外交・軍事政策をめぐる重大な意見の対立は、たとえば1948年における対中国政策をめぐる論争、51年の朝鮮戦争拡大をめぐる「マッカーサー論争」、54年のインドシナ戦争における核兵器使用をめぐっての対立、アイゼンハワー政権下の「大量報復戦略」か「柔歎反応戦略」かをめぐる「ぺンタゴン」内部の論争、60年の金門・馬祖問題をめぐる「ケネディ・ニクソン論争」、あるいは最近の部分核停条約批准に際しての論争など、どれをとってみてもけっして戦争政策か平和政策かという本質的対立をめぐるものではなく、いかにすればもっとも効果的に社会主義国を封じ込め、民族解放闘争を弾圧できるか、いかにすればもっとも早期に冷戦に勝利して世界制覇を実現できるか等々をめぐる、一つの帝国主義政策と他の帝国主義政策とのあいだの非本質的な部分的対立でしかなかったのである。こうした部分的対立がそれをめぐる闘争を激化し、しばしばケネディの暗殺のような醜悪な死闘を生み出すとしても、そのことを理由としてその部分的対立を、戦争と侵略の政策にたいする平和と民主主義の政策の根本的対立にかかわるものとみなすことは、独占資本主義という経済的土台の上に帝国主義政策と非帝国主義政策とがともに成立しうること、独占資本主義が非帝国主義政策と両立しうることを主張する議論に帰着する。

 こうした主張こそ、「政治における独占主義を経済における独占主義から切りはなす」(レーニン「帝国主義と社会主義の分裂」、全集23巻 114ページ)ものであり、帝国主義を「資本主義の発展段階」ではなく、金融資本によって「このんでもちいられる」一定の政策とみなすカウツキーの帝国主義論の再版にほかならない。レーニンはこうした見解のブルジョア改良主義的本質をつぎのように暴露している。

 「事の本質は、カウツキーが帝国主義の政策をその経済からきりはなし、併合を金融資本の『このんでもちいる』政策と説明し、この政策に、かれによれば同じ金融資本を基礎として可能であるという他のブルジョア的政策を対置している点にある。こうして、経済における独占が政治における非独占的・非暴力的・非侵略的な行動様式と両立できるということになる。また、まさに金融資本の時代に完了し、最大の資本主義国家のあいだの競争の現在の形態の特異性の基礎をなしている世界の領土的分割が、非帝国主義的政策と両立できるということになる。その結果は、資本主義の最新の段階のもっとも根本的な矛盾の根底を暴露するかわりに、それらの矛盾を塗りつぶし、鈍くみせることになり、マルクス主義のかわりにブルジョア改良主義をもってくることとなる」(「帝国主義論」、全集22巻 312ページ)。

 だが現代修正主義はカウツキーをも越えている。「かくれた日和見主義者」(レーニン「プロレタリア革命の軍事綱領」、全集23巻 88ページ)であるカウツキーは、「金融資本家たちに帝国主義を放棄するように」(レーニン「第二インタナショナルの崩壊」、全集21巻 227ページ)と説教し、独占資本が非帝国主義政策をとることができると主張したのだったが、現代修正主義はアメリカ帝国主義者がすでに非帝国主義政策をとっていると人民にたいして説教しているからである。カウツキーは帝国主義国がおたがいに軍備を放棄し、永続的な平和について協定できるという「超帝国主義論」をつくり上げたが、現代修正主義は帝国主義と社会主義がおたがいに軍備を撤廃しあい、恒久平和について協定できるという「超々帝国主義論」とでも名づけるべき議論をつくりあげたからである。

 もちろんわれわれは、全世界的な反帝平和の大衆闘争を基礎とした「交渉」によって、帝国主義の戦争と反動の政策の一定の後退をかちとる可能性、さらには一定の協定、たとえば核兵器禁止をふくむ全般的軍縮協定などの締結をも余儀なくさせうる可能性を認めているし、帝国主義を打倒し一掃する以前にも、これらの闘争によって、世界戦争を防止する事業が成功する可能性をも認めている。事実、53年の朝鮮戦争の停戦協定、54年のインドシナに関するジュネーブ協定、62年のラオス中立協定等々は、帝国主義の戦争と反動の政策に反対する内外の大衆的な独立、平和、民主の闘争と、それを基礎にしてかちとられた一定の協定と成果の現実的事例であった。これらの可能性をいっさい拒否し、帝国主義の譲歩の可能性をすべて否定することは逆に左翼小児病的なセクト主義と教条主義におちいることを意味している。だが、人民の圧力のもとにおこなわれた帝国主義の一定の譲歩を認めることと、帝国主義が本質的に平和政策に転換した、あるいは基本的、本質的に社会主義体制との平和共存政策にふみ切ったとみなすこととは、まったく別のことがらである。帝国主義が帝国主義であるかぎり、内外の搾取、「全線にわたる政治的反動」(レーニン『帝国主義と社会主義の分裂』、全集23巻 122ページ)と不可分に結びついた帝国主義国家の権力が本質的に非帝国主義的な平和政策をとることは絶対にありえないし、軍備を全廃して社会主義と永続的に平和共存することも絶対にありえないといわなければならない。

 第二に、この「両翼分化論」は、分化の基準を当面、全面的な核戦争を望むか望まないかに求め、帝国主義が全面的な核戦争を望まぬかぎり、帝国主義は本質的に平和共存政策を志向しているとして、帝国主義との闘争を回避しようとする、核脅迫におびえた日和見主義的な帝国主義弁護論にほかならない。

 帝国主義の「反動派」は核戦争放火をねらっている、帝国主義の「理性派」は核戦争の回避を望んでいる、したがって平和、民主勢力の任務は、後者と連合して前者を孤立させ、核戦争防止を実現することにある。この議論の根底にあるのは、まず第一に、核兵器の出現が帝国主義者のなかに平和を望む翼―「理性派」―を生みだし、この「理性派」との交渉によって両体制共存を実現しうる可能性をつくりだしたという考え方、すなわち、帝国主義にたいするいっきいのマルクス主義的分析を放棄して、「理性派」帝国主義者の「善意」にすべてを賭ける帝国主義弁護論である。この議論をつらぬいている第二のより根源的な思想は、全面核戦争が最大の悪であり、最大の悲惨事である以上、全面熱核戦争を防止することこそが人類の第一義的な課題なのであって、そこまで達しないすべての帝国主義政策およびそれとの闘争はもはや第二義的意義しかもたなくなったとする考え方、いいかえれば、熱核戦争による「人類絶減」の危険の前には、帝国主義も社会主義も、独立も民主主義も、民族闘争も階級闘争もその意義を喪失するという考え方であるが、これこそ、帝国主義の核脅迫にたいする全面的な屈服の思想にほかならない。だが現在、まさに「人類絶滅」の脅迫によって、反帝勢力を分断し、帝国主義への譲歩と屈服を強要する核脅迫政策こそ、アメリカ帝国主義の世界政策の主柱の一つなのである。一歩でもその核脅迫に屈服することは、アメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策に油をそそぐこととなるだけである。

 レーニンは、「戦争のおそろしい印象」に「圧迫されて」作り出された帝国主義的経済主義の誤謬について、かつてつぎのようにのべた。

「戦争のために人間の思考がおさえつけられたか、圧倒された形の一つは、民主主義にたいして『帝国主義的経済主義』が示している軽視的な態度である。ぺ・キエフスキーは戦争のためにこのように圧倒され、おびえきっている気持、分析の放棄がかれの判断全体を赤い糸のように貫いていることに気がつかない。われわれの眼前でこのように凶暴な屠殺がやられているときに、祖国擁護についていまさらなにをとやかく言うことがあろうか! むぞうさな、全面的な絞殺がさかんにやられているときに、民族の権利についてなにを語ることがあろうか?」(「ぺ・キエフスキー[ユ・ピャタコフ]への回答」、全集23巻 14ページ)。

 現代修正主義はここでもかつての帝国主義的経済主義を越えている。かつての帝国主義的経済主義者は、現実の帝国主義戦争におびえて民主主義のための闘争を放棄し、「帝国主義の承認から帝国主義の弁護へ迷いこんだ」(レーニン「発生しつつある『帝国主義的経済主義』の傾向について」、全集23巻 6ページ)が、現代修正主義者は、帝国主義の核脅迫におびえていっさいの闘争を放棄し、帝国主義への降伏から帝国主義の美化につき進んでいるからである。

 このように「両翼分化論」は、熱核兵器の空前の破壊力を認識した帝国主義の「理性派」が、熱核戦争の回避のみならず、両体制の平和共存を真剣に追求しはじめているとみなしているが、これは帝国主義の意図と政策にかんする、ほとんどデマゴギーに近いおどろくべき美化である。核独占の夢破れたアメリカ帝国主義が、全世界の反帝闘争の発展と社会主義の防衛的軍事力の威力に直面して、全面戦争を放火した場合、アメリカ帝国主義自身が壊滅的打撃を受けるかもしれないという危険を考慮に入れざるをえなくなっているとしても、そのことはけっしてアメリカ帝国主義がその侵略的な世界支配計画と戦争政策を放棄したことをいささかも意味せず、全面核戦争の勝利の保障を必死に追求して核戦力の拡充に狂奔しながら、当面アメリカ自身の国家的生存を賭ける危険のより少ない、別の形態の戦争と侵略の政策に集中していることを意味するにすぎない。したがって、当面全面的な核戦争を望むか望まぬかによって、帝国主義を好戦派と平和共存派の両翼に分けることは、まったく事実を無視しているだけでなく、帝国主義にかんするマルクス・レーニン主義の全学説を放棄して、「核自殺」の決意の有無を帝国、主義の新しい決定的標識とみなし、「中国封じ込め」を中心とした現在の世界政策の危険性とその「二面政策」の本質を見おとし、実際にはアメリカ帝国主義との闘争の放棄を全世界の人民に説教する反革命的立場に立つこととなる以外にない。

 最後にアメリカ帝国主義の「両翼分化論」は、帝国主義勢力内部の分化ということで、ケネディはじめアメリカ政府首脳部がアメリカ帝国主義の正真正銘の政治的代表者であることを無視することによって、実際にはアメリカ帝国主義とその政府を美化する最悪の日和見主義である。

 事実をみてみよう。

 戦後のアメリカ帝国主義が、世界反動の主柱として、帝国主義の軍事同盟を結成し、社会主義陣営とたたかい、民族解放運動、労働運動、平和運動、いっさいの民主主義運動、社会主義蓮動を弾圧し、同盟諸国の主権を侵害し、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの諸国を従属させ、諸国民を搾取し、戦争と侵略の政策を実行してきた「全世界人民の敵」であることには異論はありえない。このアメリカ帝国主義の世界政策の基本的骨格については、「超党派外交」という名が示すごとく、アメリカの独占体はすべて一致してきた。そして戦後の歴代のアメリカ政府こそが、民主党政府たると共和党政府たるとを問わず、このアメリカ独占体の共通の世界制覇計画を忠実に実行し、その利害を代表してきたことについても、まったく議論の余地はない。アメリカの大統領、国務長官、各省長官、官僚、軍部、民主・共和の2大政党は、完全にアメリカ帝国主義、すなわちアメリカの金融ブルジョアジーの政治的代理人であって、それ以外のなにものでもなく、アメリカにおける大独占ブルジョアジーの独裁休制は他の帝国主義諸国とくらべてはるかに純粋でかつ露骨なのである。

「資本の権力、全社会にたいするひとにぎりの億万長者の権力が、この国におけるほど粗暴な仕方で、アメリカにおけるほど公然たる買収を手段として発揮されているところは、ほかにどこにもない」(レーニン「国家について」、全集29巻 493ページ)。

 たとえば現代修正主義者が評価してやまないアイゼンハワー政府とケネディ政府をとってみよう。周知のようにアイゼンハワー政府の国務長官ダレスはロックフェラー財団理事長だったし、国防長官ウィルソンはゼネラルモータース社長、財務長官ハンフリーはハンナ会社社長等々であり、アイゼンハワー政府の行政部首脳272名中絶対多数の150名は資本家であり、残りの122名中の大半は資本家と直接の関係があった(ビクター・バーロ『最高の金融帝国』 345~6ページ)。ケネディ政府も、億万長者の子であるケネディ大統領を先頭に三重要ポストは国務長官ラスクがロックフェラー財団理事長、国防長官マクナマラがフォード自動車会社社長、財務長官ジロンがジロン・リード社会長と大独占の番頭でしっかり固めてあった。いったい、いくらでもあげることのできるこのような周知のリストをなぜ今さら数え上げねばならないのか。歴代のアメリカ政府がアメリカ帝国主義の政治的代理人であったという、マルクス・レーニン主義者にとってほとんど同義語に等しい自明のことを、これ以上証明する必要があるだろうか。それが自明のことであればあるほど、アイゼンハワー政府やケネディ政府を帝国主義の「理性的」な翼とみなし、国際緊張緩和に貢献した政府とみなそうとする議論は、まさにアメリカ帝国主義そのものを理性的なものとし、国際緊張緩和に貢献したものとみなす結果になり、それがアメリカ帝国主義を「侵略と戦争の主勢力」であり、「全世界の人民の敵」であるとした「モスクワ声明」の原則的な規定を乱暴に踏みにじるものであるという事実は、ますます疑うことができなくなってくる。

 現代修正主義者は、「モスクワ声明」の原則的規定をふみにじって、「侵略と戦争の主勢力」を、アイゼンハワー政府やケネディ政府と区別したアメリカ帝国主義の「極右派」なるものにわい小化しようとしている。この議論によれば、アメリカの真の帝国主義勢力とは、あの朝鮮戦争を放火し、キューバ侵攻を実行し、西ベルリンで挑発行動を組織し、南ベトナムに1万数干名の特殊部隊を送りこんでベトナム人民を虐殺し、全世界にNATO、CENTO、SEATOなどの軍事同盟と軍事基地網をはりめぐらし、凶暴な世界制覇計画をおし進めようとしているアメリカの巨大独占体とその政治的代表としてのアメリカ政府ではなく、ジョン・バーチ協会をはじめとするファッショ的反動分子、共知党や民主党の右翼と軍部等々なのだそうである。

 いうまでもなくこれらの極右分子の役割とその凶暴なファッショ的反動計画のもつ危険性を過小評価することは正しくない。だがこれらの極右分子のみをアメリカ帝国主義の主要な戦争勢力とみなして、アメリカ政府を戦争勢力の主柱からはずすことは、たとえば日本において、米日独占資本および池田内閣と自民党を反動勢力の主柱からはずして、赤尾敏、佐郷屋嘉昭、児玉誉士夫、三浦義一のような右翼、自民党の素心会、各種の軍国主義団体などのみを主要な反動勢力とみなすことと同じであって、まことに荒唐無稽ななおとぎ話にすぎない。アイゼンハワーや池田隼人を「共産主義の手先」とののしるこれらファッショ的極右派の役割は、民主主義勢力、なかんずく共産党を攻撃して反共ヒステリーと好戦的軍国主義思想を扇動し、一方ではそれとの対照によって独占とその政府の平和的、民主主義的仮面を補強してやり、他方ではその仮面のかげで政府の政策をさらに右傾させて、ファシズムのための地盤をつくり、将来の危機にそなえてファシズムが権力をにぎりうる条件を準備することにある。この意味では、これらのファッショ分子は、帝国主義の反動的独裁のもっとも凶暴な先兵であり、別動隊であって、独占資本とその政府はその役割を十分に利用しているのである。右翼の財源がほとんど独占利潤のおこぼれから成り立っているのはけっして偶然ではない。かれらは政治的にも財政的にも独占資本によって飼育されているのである。

 このようなみにくい補完関係を「両翼分化」として美しく描き出し、アメリカ帝国主義の極右派だけに打撃を集中することを説教することは、実際にはアメリカ帝国主義の主勢力の免罪を主張することである。それは帝国主義の本質的変化を主張することとなんの変わりがあるだろうか。現代修正主義が考案したアメリカ帝国主義の「両翼分化論」は、結局のところアメリカ帝国主義の変質を説教することであり、これによって、本質的には全世界の平卸闘争、反帝闘争、革命闘争を解体させる役割を果たすもっとも悪質な降伏主義理論なのである。

三、独・仏帝国主義への主要打撃論

 現代修正主義者のケネディ美化論は、さらに「独・仏帝国主義への主要打繋論」と名づけることのできる、つぎのような議論を引き出し、かつそれと結びつきつつある。

  • (1)アメリカ政府が平和共存への志向を示しはじめた以上、世界の平和と民主主義にとってもっとも危険な帝国主義勢力は、アメリカ極右派とともに、報復主義的な西ドイツ帝国主義と反動的なフランス帝国主義およびスペインとポルトガルの凶暴なファシズムなどとなった。
  • (2)なかんずく、第1次大戦後、復活したドイツ帝国主義が第2次大戦の火元となったように、第2次大戦後に定められた国境線の改定と核武装をねらっている報復主義的西ドイツ帝国主義の復活は、ヨーロッパ中央部におけるもっとも危険な第三次世界大戦の火元となっている。
  • (3)帝国主義の不均等発展の法則の不可避的な作用は、もっとも強大な帝国主義国家としてのアメリカ帝国主義およびイギリス帝国主義の相対的地位の弱化と、ヨーロッパの帝国主義諸国、なかでも西ドイツ帝国主義とフランス帝国主義の急速な強化をもたらしつつある。それは、西ドイツとフランスなどヨーロッパの反動的帝国主義者の危険性をいっそう強める方向にはたらいている。
  • (4)このような情勢のなかで、全世界の平和、民主勢力の中心的任務は、第2次大戦中に実現することのできた米ソの連携に学んで、アメリカ帝国主義の「理性的」な翼との協定を柔軟に追求しながら、もっとも危険な帝国主義的勢力である西ドイツのアデナウアー派をはじめ、部分核停条約への参加を拒否して危険な核開発の道を独走するフランスのドゴール派、いまなおファシズム体制を維持しつづけているスペインのフランコ、ポルトガルのサラザールらに主要な打撃を集中することによってかれらを孤立させ、第2次大戦の最後的なあと始末としてのドイツ問題その他を解決してヨーロッパにおける「平和共存の体制」を実現することにある。

 とくに部分核停条約締結以後、「アメリカ帝国主義の両翼分化論」とともに、現代修正主義者によって公然あるいは陰然ととなえられ始めたこの「独・仏帝国主義への主要打撃論」は、本質は「両翼分化論」の延長にすぎず、マルクス・レーニン主義者のとうてい支持することのできない修正主義理論である。

 第一に、この「主要打撃論」は、第1次世界大戦後におけるドイツ帝国主義の復活とヒトラー・ファシズムの侵略という歴史的経験からの機械的類推にたよって、復活した西ドイツ帝国主義の侵略計画を当面の主要な危険とみなそうとしているが、これは第2次世界大戦以前と以後との国際情勢の根本的変化を見ず、第2次大戦後アメリカ帝国主義が「現代帝国主義の経済的・金融的・軍事的主力」(「モスクワ声明」)となり、もっとも強大で、もっとも危険な帝国主義国家となっていることを忘れ、これに主要打撃を集中する必要を否定することによって、けっきょく反帝闘争回避にいたる日和見主義理論である。

 第1次大戦後の国際情勢と第2次大戦後の国際情勢とのもっとも根本的な変化の一つは、帝国主義が国際政治の動向を決定する支配的力を失ったことであった。

 第1次大戦後は、ソ連に樹立された「一国的な」プロレタリアート独裁も、いまだ「世界政治を規定することのできない」(レーニン「民族問題と植民地問題についてのテーゼ原案」、全集31巻 229ページ)ものにとどまっており、国際政治の動向を規定する支配的な力は、主として帝国主義の一般的体系、帝国主義の世界体制と国際関係であった。この関係のなかで、根本的にはともに社会主義ソ連と対立しつつも、米・英・仏の帝国主義ブロックと独・伊・日の帝国主義ブロックとのあいだの帝国主義相互の和解しがたい矛盾が第2次世界大戦をひきおこすこととなったのであって、その過程でベルサイユ体制を破棄して復活したドイツ帝国主義、社会主義と民主主義にたいするもっとも凶暴な突撃隊としてのドイツ・ファシズムが、全世界の平和、民主勢力の最大の敵となり、世界平和にたいする最大の脅威となったのである。

 だが、第2次大戦後、第一にレーニンが「世界政治全体に決定的な影響をおよぼすことができる」(前掲論文)と規定した「国際」的なプロレタリアートの独裁としての社会主義世界体制が成立し、第二に帝国主義の植民地主義的奴隷制度が崩壊しはじめ、第三に帝国主義世界体制のいっそうの衰退と腐朽が進んだ結果、帝国主義は国際政治における支配的地位を失い、「世界の舞台」における「帝国主義にたいする社会主義勢力の優位、戦争勢力にたいする平和勢力の優位」(『モスクワ声明』、前掲パンフレット、4ページ)という世界史的転換が形づくられた。同時に第2次大戦は帝国主義体制内部の力関係にも根本的転換をもたらし、アメリカ帝国主義の圧倒的優越が形づくられた。この二つの根本的転換、すなわち帝国主義体制と社会主義体制との、戦争勢力と平和勢力との、植民地主義と民族解放運動との力関係の決定的変化と、帝国主義体制内部におけるアメリカ帝国主義の覇権の確立こそ、第一に現代帝国主義をなによりもまず社会主義体制、国際労働者階級と反帝民族解放運動に敵対させて結集し、第二に帝国主義体制の内部でアメリカ帝国主義の新しい膨張主義と世界支配計画のためのすべての帝国主義国家の結合と一定の従属の関係を生みだした基礎である。こうして現在、国際政治の動向は、以前のように主として帝国主義相互の諸関係によってではなく、まず第一にアメリカ帝国主義を指導者とする帝国主義体制と、社会主義体制、国際労働者階級、反帝民族解放運動、すべての平和愛好国家と平和勢力という対立物の闘争によって、基本的に規定されることになった。「モスクワ声明」につぎのようにのべている。

「社会主義の世界体制が強くなるにつれて、国際情勢は、独立、民主主義、社会進歩をめざしてたたかう各国人民に有利な方向に、ますます決定的にかわりつつある。
    こんにちの時代における人類社会の歴史的発展のおもな内容、おもな方向、おもな特徴を決定しているものは、社会主義世界体制、帝国主義に反対してたたかっている勢力、社会の社会主義的変革のためにたたかっている勢力である」(前掲パンフレット、5ページ)。

 このような情勢のなかで、「現代帝国主義の主要国」(前掲パンフレット、8ページ)であるアメリカ帝国主義が、社会主義と共産主義の建設にむかって前進しつつある社会主義諸国の人民にとっても、民族の独立と自立的経済の発展のためにたたかっている被抑圧国の人民にとっても、民主主義と社会主義のためにたたかっている資本主義諸国の労働者階級と動労人民にとっても、世界平和のためにたたかっているすべての勢力にとっても、共通して最悪最大の主敵となるのは不可避的であり、これを孤立させ、これに打撃をあたえることが世界人民にとって重要な共通の課題となることも不可避的である。もちろん西ドイツ帝国主義やフランス帝国主義の危険を過小評価することは正しくないし、最近の諸事件は、これらの国の帝国主義政策の動向について、今まで以上の警戒を払う必要が増大していることを示している。しかし、復活した西ドイツ帝国主義の危険性を理由にアメリカ帝国主義という主敵を免罪し、これとの闘争の重要性を軽視するばかりか回避することは、このような第2次大戦後の国際情勢と人民闘争の現実と特徴について、なにごとも理解していないことしか意味しない。

 第二に、この「主要打撃論」は、あたかも今日の国際政治の切迫した中心問題が、第2次大戦のあと始末としてのドイツ問題の解決にあるかのように描きだし、そのことを理由にアメリカ帝国主義との協調路線を合理化しようとしているが、このような路線は、ドイツ問題をも真に解決することができないばかりか実際にはアメリカ帝国主義をさらに勇気づけて、その世界制覇計画の遂行に手を貸すこととならざるをえない。

 今日、世界のあらゆる場所で国際緊張の原因となっている問題は、すべてアメリカ帝国主義の戦争と侵略の政策と結びついている。ドイツ問題もまた例外ではない。それはいまや、たんに第2次大戦の戦後処理の未解決問題としてだけではなく、ヨーロッパにおけるアメリカ帝国主義の侵略計画のなかで特別の意義をもつ問題として位置づけられている。日本帝国主義の復活の進行におけると同様に、報復主義的な西ドイツ帝国主義の復活はまさにアメリカ帝国主義の支持と激励、西ドイツ独占体とアメリカ独占体との新しい結びつきのなかでおしすすめられてきたし、西ドイツ軍国主義の復活は、アメリカ帝国主義の生産する兵器による武装と、アメリカ帝国主義の指揮するNATO軍の結成と強化のなかでおこなわれ、西ドイツの核武装はアメリカ帝国主義の「多角的核武装」計画のなかで実現されようとしている。西ドイツ軍国主義者が抱いている独自の侵略計画の危険性は、まきにそれがアメリカ帝国主義の侵略計画と堅く結びついているところに生まれており、将来は別としても当面の段階では、かれらはアメリカ帝国主義の援助と承認なしにはその侵略計画を実行する力をまだもっていない。

 そのことは、たとえば61年の西ベルリン問題をめぐる極度の緊張激化が、まさにアメリカ帝国主義が「ベルリンを守るためには核戦争をも辞さない」という挑発的な「緊急計画」をもってアデナウワー政府を激励したことによって主としてひき起こされたという事実一つをみても明らかであろう。ドイツ問題の真の意義が、たんに西ドイツ帝国主義の侵略計画にかかわっているだけでなく、アメリカ帝国主義の世界支配計画にかかわっているところにあるとすれば、その解決をアメリカ帝国主義との闘争によらずアメリカ帝国主義との協調によって実現しようとすることは、木によって魚を求めることと等しくなる。ドイツ問題の解決は、全世界の他のあらゆる緊張の原因と同様に、全世界にわたるアメリカ帝国主義との断固たる闘争の発展と結びつけることによってのみ前進することができるのである。そうではなく、もし闘争によらず交渉によってドイツ問題のみを解決しようとするならば、それは第2次大戦のあと始末となるどころか、かえってアメリカ帝国主義の侵略計画を助長し、ドイツ問題の解決をひきのばして、第3次世界大戦の危険を強くするだけである。無意味な歴史的類推にたよってアメリカ帝国主義との協調を基本にし、ナチスの残党に主要打撃を集中することを根拠づけようとするすべての議論は、実際にはただアメリカ帝国主義を野放しにし、かれらとナチスの残党との結びつきをいっそう強め、戦争勢力を強化することとなるだけである。

 第三に、この「独・仏帝国主義への主要打繋論」は、資本主義の不均等発展にもとづく西ドイツ帝国主義とフランス帝国主義の相対的強化と、アメリカ帝国主義とのあいだの帝国主義的矛盾と対立の発展を一つの理由として、独・仏帝国主義の膨張主義と侵略計画を主要な危険とみなそうとしているが、これは全般的危機の深化した現在の段階における不均等発展の特徴を見失い、帝国主義の本質と不均等発展の法則とを統一的にとらえることができず、アメリカ帝国主義の発展した資本主義国にたいする支配と浸透が帝国主義の本質的志向としておこなわれていることを無視し、全体として事態を一面化する誤った議論である。

 いうまでもなく、「経済的および政治的発展の不均等性は、資本主義の無条件的な法則である」(レーニン「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」、全集21巻 352ページ)。だが、この資本主義の無条件的な法則として不均等発展の法則から、すべての帝国主義国家の相互関係を、対立と分裂一色に塗りつぶすことはできない。なぜなら、経済的には「あらゆる国の帝国主義の共通の同盟、祖国というものを知らない資本を擁護するために当然な、避けることのできない同盟」は、「資本主義制度の経済的傾向の基礎」(レーニン「全ロシア中央執行委員会とモスクワ・ソビエトの合同会議」、全集27巻 372~3ページ)であり、政治的には、帝国主義の「一部のものが他のものに反対する同盟」も、「すべての帝国主義列強が……アジア諸国の『平和的』分割のために結ぶ同盟」(レーニン「帝国主義論」、全集22巻、341ページ)も可能であり、「どのようにして共同でヨーロッパの社会主義をおさえつけ、かきあつめた植民地をどのようにして日本とアメリカにたいして共同で守るかということについての協定」としての「ヨーロッパ合衆国」(前掲「ヨーロッパ合衆国のスローガンについて」、全集21巻 351ページ)さえも一時的に可能だからである。

 帝国主義が国際政治を規定する支配力となっていたかつての時代には、これらすべての同盟はただ「不可避的に、戦争と戦争とのあいだの『息ぬき』」(レーニン「帝国主義論」、全集22巻 342ページ)にすぎなかった。不均等発展にもとづく世界分割の不均衡は、不可避的に帝国主義戦争による再分割をもたらしたからである。

 ところで先にのべたような第2次大戦後の全般的危機の深化は、不均等発展のこのような貫徹の形態に一定の変形を生みだしている。

 その一つは、社会主義体制にたいするアメリカ帝国主義の指導する帝国主義の全般的同盟が形成され、政治的にも経済的にも、この同盟の維持が腐朽した帝国主義の運命にかかわる重要性をましただけでなく、帝国主義列強間の帝国主義戦争は帝国主義体制を弱めその国家的生存をも危うくする可能性が生まれたために、帝国主義の市場再分割闘争を公然たる帝国主義戦争にまで発展させることを防ごうとすることとともにこの軍事的、政治的同盟と体制そのものを維持しようとする必死の努力が講ぜられていることである。

 二つは、アメリカ帝国主義とその他の帝国主義各国との政治的、経済的、軍事的力の絶対差がきわめて大きいために、最近数年間とみにいちじるしくなった不均等発展の法則の作用も、相対的な力関係の急激な変化をもたらしつつあるが、絶対的な力関係においては依然としてアメリカ帝国主義のかなりの優位が維持され続けていることである。

 こうして資本主義の不均等発展とともに各帝国主義国相互のあいだ、とくにアメリカとフランス・西ドイツとイギリス、イギリスとフランス、さらにアメリカとイギリス等々のあいだの矛盾と対立はますます先鋭化しつつあり、アメリカ帝国主義の支配的地位の動揺やその孤立化傾向も強まっているが、世界史的対立の一方の極、すなわち社会主義体制と民族解放運動、資本主義諸国の労働者階級の革命運動、平和運動などの発展に対抗して、侵略と民族抑圧と政治的反動を強め、かれらの支配体制を維持するための帝国主義国間の利害の共通性も強まり、アメリカ帝国主義との従属的同盟を維持しつづける必要もまた強まっている。このため、不均等発展の急速な進展にもかかわらず、アメリカ帝国主義と他の帝国主義国との関係は、主要な側面が対立や分裂となったのではなく、アメリカ帝国主義の支配的地位が依然として保持されていることと結びついて、やはり従属的同盟の関係が主要な基本的なものであるという事態は変わっていない。

 日本の場合には、欧米資本主義とくらべて本来もっていた資本主義としての後進性と脆弱性、ならび敗戦による打撃とアメリカ帝国主義の全面的占領支配という歴史的遺産と結びついて、アメリカ帝国主義にたいする軍事的、外交的、金融的な国家的従属が特別に深刻な性格をもっているが、ヨーロッパの帝国主義諸国もまた、あるいはNATOと軍事基地網をつうじて、あるいは経済「援助」とアメリカ独占体のヨーロッパ市場への進出をつうじて、あるいはアメリカ金融資本が主導権をにぎっているガットやIMF、OECDなどの国際機構をつうじ、「自由化」と関税切下げをつうじて、多かれ少なかれアメリカ帝国主義の支配と浸透のもとにおかれている事実を見落とすべきでない。「モスクワ声明」はつぎのようにのべている。

「アメリカ帝国主義は、軍事ブロックと経済『援助』をおもな手段として利用しながら、多くの国々をその支配下に従属させようとしている。アメリカ帝国主義は発達した資本主義国の主権さえ侵害している。アメリカ帝国主義と同盟を結んでいる高度に発達した資本主義諸国の支配的独占ブルジョアジーは、アメリカ帝国主義の支持のもとに、革命的解放勢力を抑圧し、勤労者から民主主義的自由を奪いとり、社会進歩をめざす人民大衆の闘争を阻止しようとして、自国の主権を犠牲にしているのである。アメリカ帝国主義は、これらの国ぐにを、軍備拡張と社会主義国および中立国にたいする新しい侵略戦争準備政策と破壊活動の政策に引込みつつある。
資本主義制度の足場がひどく腐朽してしまったので、多くの国の支配的帝国主義ブルジョアジーは、自力では、成長し団結しつつある民主主義と進歩の勢力に対抗できなくなっている。帝国主義者たちは、協力して社会主義陣営とたたかい、民族解放運動、労働運動、社会主義運動を弾圧するために、アメリカを盟主とする軍事的・政治的同盟に結集している。最近数年問の国際的諸事件の経過は、アメリカ帝国主義が世界反動の主柱であり、国際的憲兵であり、全世界の人民の敵であることをしめす多くの新しい証拠を提出している」(前掲パンフレット、8~9ページ)。

 「モスクワ声明」が発表されて以来の3年間に、この見地と規定に重要な修正を加えなければならないような情勢の変化が生まれているだろうか。63年のイギリスのEEC加入拒否とフランスの部分核停条約への不参加、64年1月のフランスと中国の国交回復、アメリカ帝国主義のキューバ封鎖にたいするイギリスとフランスの非協力的態度等にみられる帝国主義の内部矛盾の先鋭化が、最近の情勢のいちじるしい特徴の一つであることは疑いない。しかし、この帝国主義陣営の内部矛盾の先鋭化は、けっしてアメリカ帝国主義を盟主とする帝国主義諸国間の軍事的・政治的同盟の崩壊を意味せず、アメリカ帝国主義のかわりにフランスあるいは西ドイツ帝国主義が主要な敵となったことを意味せず、アメリカ帝国主義と協調して独・仏帝国主義を孤立化させる戦術の正当きを証明するものではない。その内部矛盾の先鋭化は、ただレーニンが指示した「帝国主義者のあいだの矛盾と対立を利用しろ」という準則、「われわれにとって今後長く、全世界で社会主義が最後的に勝利する日まで、基本的な準則であるような準則」(レーニン「ロシア共産党モスクワ組織の活動分子の会合での演説」、全集31巻 444~5ページ)を堅持する必要をますます大きくしているだけである。現代修正主義者は一見この「準則」にのっとっているかのようによそおいながら、実際にはそれを最大最強の帝国主義の免罪に利用することによって、レーニン主義的準則そのものを事実上破壊する結果になっている。われわれはきびしくこの準則を守って、現代修正主義者の日和見主義的戦術とは反対に、各国人民の革命的闘争を基本にして帝国主義諸国間の矛盾と対立を利用し、もっとも危険な最大の帝国主義国としてのアメリカ帝国主義を孤立させ、すべての勢力を結集してアメリカ帝国主義に打撃を集中することの必要と重要性をいっそうはっきりとつかまなければならない。最近の情勢の諸経過は、このことの正しさをますます鮮明に示しているだけである。

 最後に、「独・仏帝国主義への主要打撃論」は、その議論の本質からいって、アメリカ帝国主義にたいする闘争の回避を合理化しながら、結局はすべての帝国主義にたいする闘争、したがってまた独・仏帝国主義そのものにたいする闘争をも回避する方向に行きつかざるをえない。そのことは、この議論と、民族解放闘争の軽視や平和運動における「敵なし論」、「幅ひろ論」などとの結びつきのなかにはっきりとしめされている。

 もともとこの「主要打撃論」は、「アメリカ帝国主義の両翼分化論」と結びついて、最大最強の帝国主義としてのアメリカ帝国主義との対決と闘争の回避を戦術論的に合理化しようとする内容のものとして、その出発点から根本的に日和見主義的、修正主義的な議論であるところにその本質がある。そしてこのようなアメリカ帝国主義との闘争を回避しようとする立場は、じつは古くからある日和見主義的な反帝闘争回避論の現代版にすぎない。

 第2インタナショナルのカウツキーやプレハーノフ以来、ヨーロッパの労働者階級の内部には、帝国主義の超過利潤のおこぼれによって買収された労働者と小ブルジョアの少数の特権層の利益という経済的基礎の上に、絶えず「完成された日和見主義」としての「社会排外主義」(レーニン「社会主義と戦争」、全集21巻136ページ)あるいは「ヨーロッパ的排外主義」(レーニン「プロレタリア革命の軍事綱領」、全集23巻81ページ)が生み出され続けている。そしてこの排外主義の本質が、帝国主義への日和見主義的降伏思想そのものであることはいうまでもないところである。

 このような帝国主義にたいする降伏思想が、第2次大戦後の今日の国際情勢のもとで、一方では最大最強の帝国主義国としてのアメリカ帝国主義にたいする闘争回避の議論となって現われ、他方ではその議論を戦術論的に合理化する「独・仏帝国主義への主要打撃論」となって現われ、またこれと結びついて、あるいはアジア、アフリカ・ラテンアメリカにおける民族解放闘争の重大な軽視や、あるいは平和運動において、アメリカ帝国主義だけでなく、独・仏帝国主義をも含めて帝国主義そのものとの闘争を避けようとする「敵なし論」――平和の敵は、帝国主義ではなく「戦争」や「核兵器」だといったたぐいの――や「幅ひろ論」――運動の幅をひろげるためには、帝国主義を敵と規定すべきではないといったたぐいの――となって現われることは、けっして偶然ではない。要するにこれらは、レーニンが指摘した「ヨーロッパ的排外主義」の再版であり、その亜流なのである。

 これらいっさいの反帝闘争回避を合理化する日和見主義、修正主義とたたかうことなしに、帝国主義にたいする真剣な革命的闘争を組織することができないことは、これまでの国際革命運動の歴史が教えているもっとも重要な教訓の一つである。

 以上のように、現代修正主義者の「独・仏帝国主義への主要打撃論」は、その「アメリカ帝国主義の両翼分化論」とまったく同様に、第2次大戦後の国際情勢における、もっとも侵略的な「世界反動の主柱」、「国際的憲兵」としてのアメリカ帝国主義の役割を否定することによって、ただアメリカ帝国主義との闘争を回避し、アメリカ帝国主義に奉仕する、反人民的、反革命的理論であることはまったく論議の余地がない。そして、もしこのようにしてアメリカ帝国主義を免罪するならば、行きつく先はすべての反帝闘争、民族解放闘争、平和闘争の必要の否定である。なぜなら、アメリカ帝国主義の主要勢力は、すでに世界の現実を冷静に評価し、熱核戦争による「人類絶滅」を憂えている「平和勢力」に変質しつつあり、残る反帝平和闘争の任務は、アメリカ帝国主義のこの政策転換を支持し、その進行を大切に保障してやり、主人を失った戦争勢力の残党を征伐することだけとならざるをえないからである。変質した帝国主義と共存し、戦争のない世界を実現する日は、いままさに目前に迫っているというわけだ! これこそ正真正銘の平和勢力、反帝勢力、革命勢力の武装解除と解体の理論でなくてなんであろうか。これらの人民勢力が武装解除されれば、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、反動と抑圧の政策を押しとどめる力は地上のどこにもなくなる。戦争の危険はこの上なく強まることとなるだろう。マルクス・レーニン主義者が少しでもアメリカ帝国主義の戦争政策を否認し、帝国主義の欺まん政策を美化した瞬間、階級闘争の弁証法はただちにアメリカ帝国主義による戦争と侵略の脅威と世界支配の脅威を強めるのである。

 ケネディ政府は、トルーマン政府、アイゼンハワー政府同様、アメリカ帝国主義の政治権力の頭部であり、戦争勢力と反革命勢力の主要な政治的指導部であった。このケネディ政府を美化する今日の大合唱は、その大合唱に国際平和運動や国際共産主義運動の一部をひきこむことによって、世界平和、民族解放、民主主義と社会主義をめざす勢力とその闘争を弱め、実際には戦争の現実的危険をむしろ大きくする役割をはたしつつある。全世界のマルクス・レーニン主義者は、戦争と侵略の主勢力であるアメリカ帝国主義にたいする各国人民の闘争をさらに発展させるために、このような裏切り的な内外の現代修正主義理論を粉砕しなければならない。

四、ケネディの「二面政策」の本質

 現代修正主義者は、ケネディ放府の「平和政策」を口をきわめて賛美しているが、その「平和政策」なるものの本質は、もともとあらゆる帝国主義者、あらゆる反動勢力の常とう手段である「二面政策」の強まったものであって、それ以外のものではない。

 レーニンはつぎのように書いている。

 「あらゆる抑圧階級は、自分の支配を維持するために、二つの社会的機能を必要とする。すなわち刑吏の機能と坊主の機能である。刑吏は、被抑圧者の抗議と激高をおしつぶさなければならない。坊主は、被抑圧者を慰め、階級支配がたもたれていても災厄と犠牲がかるくなる見通しを、かれらにえがいてみせ(これは、このような見通しが『実現できる』という保障なしにやるのだから、とくに都合がよい……)、そうすることによって、かれらをこのような支配に忍従させ、かれらに革命的行動をおもいとどまらせ、かれらの革命的気分をそぎ、かれらの革命的決意をぶちこわさなければならない」(「第二インタナショナルの崩壊』、全集21巻 229ページ)。
 「すべての国でブルジョアジーは、かならず二つの統治方式、自分たちの利益のためにたたかい自分たちの支配をまもる二つの方法をつくりあげるのであって、その場合この二つの方法は、ときにはたがいに交代しあい、ときにはいろいろの組合わせでからみあっている。その第一は、暴力の方法、労働運動にすこしの譲歩をあたえることも拒否する方法、いっきいの古い、寿命のすぎた諸制度を維持する方法、非妥協的に改良を否認する方法である。……第二の方法は、『自由主義』の方法、政治的権利を発展する方向へ、改良、譲歩、等々の方向へ、歩みをすすめる方法である」(「ヨーロッパの労働運動における意見の相違」、全集16巻 367ページ)。

 レーニンのいう「刑吏の機能」と「坊主の機能」「暴力の機能」、「暴力の方法」と「自由主義の方法」という支配階級の二面政策は、ともに支配と抑圧の維持に奉仕する二つの手口にすぎず、本質と目的はただ一つである。19世紀の60年代と70年代のイギリスの自由主義的なブルジョア支配も、70年代と8O年代のドイツにおけるビスマルクの暴力的支配も、20世紀30年代のアメリカのルーズベルトとニューディール政策も、独・伊帝国主義のファッショ的圧制も、ブルジョア独裁という同じ本質にはなんの変わりもない。そして、一つの目的をもった二つの手口のどちらが主要な方法となり、どちらが前面にでるかは、歴史的な条件と階級闘争の力関係とによって変化する。レーニンの指摘するように「いろいろの国が、ある特定の時期にはどちらか一つの方法の適用をおもに発達させた」(前掲論文、全集16巻 368ページ)。

 第2次大戦後のアメリカ帝国主義も、情勢に応じてこの二つの舌を使いわけ、あるいは組み合わせてその世界支配計画をおしすすめてきた。「戦争瀬戸際政策」で歴史に名を残したダレスでさえも、「平和」と「正義」をお題目のようにとなえていた。

「平和を愛し、平和を欲する人びとは、勝利のために猛烈に奮闘するように平和のためにも一生懸命尽力し、また平和のためにつくすよう正義のためにも猛烈に努力しなければ、平和も正義もどちらも獲得できそうにもない。…平和とその不可欠な構成要素である正義とを獲得する仕事は、われわれの最善の努力を必要とする仕事である」(ダレス『戦争か平和か』序文)。

 だが、帝国主義者の「平和」のゼスチュアは侵略と反動の道具である。なぜなら戦争と侵略、抑圧と反動の帝国主義政策は、資本主義の最後の段階としての帝国主義と本質的、法則的に不可分のものだからである。この帝国主義にたいして本質的な平和政策を期待することは絶対に不可能であって、ただ可能なのは、全世界の平和、民主勢力の決然たる反帝闘争の圧力によって、帝国主義の戦争と侵略の政策に打撃を与え、挫折させ、後退と譲歩をかちとることだけである。だが闘争の圧力によって押しつけた譲歩も、けっして本質的に帝国主主義から平和への志向を引き出しうるものではなく、かれらが情勢に応じて、暴力の方法から譲歩の方法に移ったこと、ただ支配と侵略の基本政策を保持し長続きさせる目的のためにのみ譲歩を採用したことを示すだけである。しかも帝国主義者の「自由主義」政策と譲歩は、暴力政策より以上に危険である。なぜなら労働者階級や勤労人民の一部が、この譲歩にだまされる可能性が生まれるからである。レーニンの適切な言葉を引いておこう。

「ブルジョアジーは、『自由主義的』政策を手段として、しばしばある期間その目的を達する。この政策はパンネクックの正しい証言によれば、『より巧妙な政策』である。ときによると、労働者の一部、労働者の代表者の一部が、表面的な譲歩にだまされる。修正主義者は、階級闘争の学説は『古くさくなった』と宣言したり、事実上階級闘争の放棄を実現するような政策を遂行しはじめたりする。ブルジョア的戦術のジグザグは、労働運動のうちの修正主義をつよめて、しばしば、労働運動の内部の意見の相違を直接の分裂にもっていく」(前掲論文、全集16巻 368ページ)。

 レーニンが警告したとおり、現在アメリカ帝国主義は、その二面政策と表面的な「譲歩」(最近のそれはただ譲歩するかのようなポーズにすぎぬものであって、実質的な譲歩は一カケラもない)にだまされて国際・平和運動と国際共産主義運動の一部に生まれた修正主義的潮流を促進し、意見の相違を直接の分裂にまでもっていこうとしつつある。現代修正主義者は、帝国主義の譲歩のポーズを美化して、一方的に実質的な譲歩をおこない、「階級闘争の放棄を実現するような政策を遂行」しはじめている。

 「いな、平和を守るためには相互の譲歩が必要である。そしてなによりも重要なことは、相互の譲歩によって現実に冷戦における緊張が緩和したという事実である」と現代修正主義が答えるならば、われわれはつぎのように言おう。

 第一は、われわれの側の譲歩や妥協には、「客観的条件にとってよぎなくされた妥協」、「引きつづいて闘争するための革命的な献身と覚悟の度合をすこしも減じることのない妥協」と「裏切者の妥協」(レーニン『共産主義内の「左翼主義」小児病』、全集31巻 55ページ)との二つがあることである。前者は、われわれ自身がつくりだしたものではなく、「歴史的発展の歩みによって」つくりだされた「中間駅」(同53ページ)であって、マルクス・レーニン主義の原則を守った、非本質的な、部分的な譲歩であり、妥協であって、われわれはこのような部分的譲歩の必要をまったく否定する素朴な態度をとるものではけっしてない。後者は、「自分の利己心、自分の憶病、資本家にへつらおうとする自分の希望、資本家のおどかし、ときにはくどきおとし、ときには施物、ときには甘言にまいってしまう自分の態度」(同55ページ)から生み出された、無原則的な譲歩であり、妥協であって、降伏への第一歩である。

 第二に、われわれの側の必要な部分的譲歩でさえも、つねに譲歩した相手とその影響にたいする思想的および政治的なたたかいと密接に結びつかなければならないことである。それなしには、部分的譲歩もまた降伏への一歩としての無原則的譲歩に転化する。レーニンは、ロシアの革命的社会民主主義者がブルジョア自由主義者と「多くの実際上の妥協」をした際、「同時にブルジョア自由主義派にたいし、また労働運動内部のブルジョア自由主義派の影響のどんな小さな現われにたいしても、まったく仮借することのない思想上および政治上のたたかいをおこなうことができ、それをやめなかった」と書き、「ボリシェビキは、いつもこの政策をつづけてきた」(同、59ページ)とのべている。

 第三に、冷戦の「緊張緩和」といわれるものには基本的に二つの種類があることである。一つは闘争の圧力によって本質的に帝国主義を譲歩させてかちとった緊張緩和であって、これこそが平和への前進を意味する真の緊張緩和である。もう一つは、平和、民主勢力の側の無原則的な譲歩によって生まれた「緊張緩和」である。これは、敵の譲歩なしに生まれた、ごまかしの、一時的な、みせかけの「緊張緩和」であって、けっして真の緊張緩和ではなく、むしろ反対に帝国主義を勇気づけ、増長させ、かれらに時間をかせがせ、その戦争と侵略の政策を強化させ、実際には「緊張緩和」の仮面の裏で将来の戦争の危険を蓄積するものである。

 そして、つぎにのべるように、ケネディの対社会主義政策はけっしてなんらの本質的譲歩を意味していない事実が、事態の本質は相互譲歩どころか実際にはただ現代修正主義の一方的譲歩がおこなわれているところにあることを暴露しており、現代修正主義者がアメリカ帝国主義にたいする「仮借することのない思想上および政治上のたたかい」をまったく放棄し、アメリカ帝国主義を美化する思想と理論を臆面もなくおしひろげることに熱中している事実は、かれらのいう「相互譲歩」が実はかれらの無原則的譲歩の別名にほかならないことを暴露している。かれらのいう「緊張緩和」は断じて真の緊張緩和ではなく、かれらの一方的、かつ無原則的な譲歩によってつくりだされた、みせかけの「緊張緩和」以外のなにものでもない。

 では、ケネディの政策が、現代修正主義者のいうように、帝国主義者の本質的譲歩を示す政策だったのか、それともわれわれの主張するように、みせかけの譲歩で飾り立てた戦争と侵略の政策だったのかを事実にもとづいて検討してみよう。

  • (1)ケネディ政策の出発点は、現段階のアメリカ帝国主義がおちいっている深刻な危機にたいする、帝国主義者としての自覚であった。米・ソの「ミサイルギャップ」と「経済ギャップ」、「科学と教育における立ち遅れ」、あるいは「アジア、アフリカを吹きまくっている反植民地主義革命の力」という深刻な現状を説いて(ケネディ『平和のための戦略』)危機意識をあおり、アメリカの「威信低下」の現実に勇気をもって立ち向かうことを国民に呼びかけた(ケネディ・ニクソン『大いなる論争』)。ケネディの路線は、なによりもまず「資本主義の全般的危機の発展の新しい段階」(『モスクワ声明』、前掲パンフレット、11ページ)。とくにアメリカ帝国主義の腐朽と停滞のより深刻な段階にたいする、帝国主義者の立場からの対応を表現していた。それは死滅しつつあるアメリカ帝国主義の、追いつめられ、弱化した新段階を反映していた。ケネディが最初の「一般教書」でつぎのようにのべていたことは特徴的である。
 「私はいま、われわれが国家的危機と国家的機会に直面している時期に演説しているのである。私の任期が終わる前に、わが国のように組織され、統治される国家がはたして存続できるかどうかをわれわれは新たにためさねばならぬであろう。その結果はけっして確かではなくその回答はけっして明らかではない。われわれはみな――この政府も、議会も国民も――ともに力を合わせてこれらの回答を生み出さねばならない」。
  • (2)ケネディ政策の本質は、いっさいのケネディ美化論の説くところとはまったく反対に、この危機からの脱出の道を、現状維持はもちろんのこと、妥協や譲歩に求めるのではなく、社会主義体制と民族解放運動と民主主義と社会主義をめざす人民運動にたいする、きわめて侵略的な長期にわたる反撃計画に求めた点であった。それが可能かどうかは別問題として、力関係の逆転に全力を集中し、その方向に向かって死に物狂いの第一歩を踏み出すことにケネディの野心的な基本目標があった。攻撃に転ずることなしには現状維持さえ不可能であるという事態を認識したケネディが反撃にあたって採用した方針は、かれ自身の命名にしたがえば「負け犬の戦略」であった。
 「それは、基本的には残っている強みのすべてを最大限にし、敵の弱点を最大にする戦略であって――そして優越さを再び獲得するために必要な時間をかせぎ、機会を待つのである」(『平和のための戦略』、81ページ)。

 追いつめられた「負け犬」の「大戦略」(グランド・ストラテジー)は、つぎの3本の柱によって構成されていた。

(イ)帝国主義体制の再編強化 「負け犬の戦略」の第一の柱は、社会主義体制、民族解放闘争、資本主義国における労働者階級と勤労人民の革命運動の発展に対抗して、くずれゆく帝国主義体制の軍事的、政治的、経済的な力を全力をあげて再編強化することにあった。

 軍事的強化の中心は、アイゼンハワー時代の「大量報復戦略」の反省から生まれたテーラー統合参謀本部長の「柔軟反応戦略」による通常兵力とゲリラ兵力の増強、それに核戦争における先制勝利をねらったマクナマラ国防長官の「対抗戦略」を結びつけ、熱核戦争、通常戦争、ゲリラ戦の「三つの戦争」をよりどりしだいに遂行するアメリカ史上最大の侵略的軍事態勢の完成におかれた。

 ケネディ政府は、史上最高の軍事予算を組み、三つの戦力の拡充に向かって狂気じみた前進をおこなった。3年間に達成された「成果」について、ついに読み上げられなかったダラスにおける予定演説の草稿には、ポラリス計画の70パーセント増、ミニットマン計画の75パーセント増、戦略的核兵器の倍加、戦術的核兵器の開発と配備の拡大、通常兵力の戦闘準備態勢の根本的改善、特殊部隊兵力の7倍化などが誇示してあった。これらの兵力はたんに「阻止力」として保持されただけではない。61年4月のキューバ侵攻、同年7月のベルリン問題をめぐる挑発的軍事措置、62年初頭からの南ベトナムへの米軍派兵と軍事介入、同5月のタイ出兵とラオス沖への第7艦隊出動、同年9月のキューバ、ベルリン対策としての15万人の予備役編入、同年10月のキューバ侵攻計画と封鎖、全世界的な核戦争態勢の展開等々の、応接にいとまない血なまぐさい戦争と侵略の歴史は、ケネディが「卓越した平和の政治家」だったという現代修正主義者のおとぎ話を完膚ないまでに粉砕している。帝国主義権力の背骨が軍事機構にあり、帝国主義の本質が戦争と侵略の政策にあるとすれば、質量ともに戦後最高の軍備拡張をおこない、しばしば失敗に終わったとはいえ、あいつぐ軍事力の発動をおこなったケネディ政府の本質は、アイゼンハワー政府以上に冒険主義的で好戦的な、より凶暴な軍国主義的反動権力だったといわなければならない。

 経済的強化の中心は、増大する失業と遊休設備の増加、頻繁な恐慌とインフレーション、絶望的な「成長率の低下」等々、すでに歴史的に衰退期にはいったアメリカ資本主義の腐朽化と矛盾の激化の上に、冷戦政策の負担と不均等発展とが生み出したアメリカ帝国主義の相対的地位の低下とドル危機とが襲いかかり、社会主義との「経済競争」における敗北に直面しているという現実にたいして、「アメリカ経済を潜在力いっぱいにまで回復させ、経済成長を促進するための徹底的な諸措置」(61年『経済特別教書』)におかれた。その諸措置とは、第一に軍備拡張と対外「援助」の増額、大独占のための新規投資と消費市場拡大をめざす政府財政支出の増大であり、第二にドル危機緩和のための「バイ・アメリカン」「シップ・アメリカン」政策、輸入制限の強化と同盟諸国にたいする「自由化」の強要、「ケネディ・ラウンド」(関税一括引き下げ)と海外「援助」の肩代わり要請等々であり、一言でいえばアメリカと同盟諸国の勤労人民の搾取の強化、内外にわたる経済的侵略の強化と国家独占資本主義的諸措置の反動的促進であった。それは修正主義者のいうように、社会主義体制の経済競争の圧力と冷戦経済の重荷に耐えかねて、経済軍事化から軍縮と平和経済への転換をめざした路線ではなく、帝国主義経済の内部的必然性につき動かされた経済軍事化と膨張主義の路線であり、冷戦経済の重荷にさらに耐えること、アメリカ帝国主義の搾取と抑圧に協力することをアメリカ国民と「自由陣営」の諸国民に強要し、社会主義の経済競争に「挑戦」して「勝利」することを夢みた、もっとも反動的、攻勢的な帝国主義経済政策だった。

 政治的強化の中心は、帝国主義の大同盟としての「大西洋共同体」の結成とアメリカの指導的地位の再建におかれた。軍事力の拡充を主柱とし経済「成長」とドル防衛を支柱として、ますます激化する帝国主義諸国間の矛盾を調整し、ヨーロッパとアメリカを結ぶ「大西洋共同体」と、日本をアメリカに堅く結びつけている「日米同盟」を強化して、すべての反帝勢力、なかんずく社会主義体制と民族解放闘争に敵対し、くずれゆく帝国主義体制と植民地的ドレイ制度を建て直すために帝国主義の「大同団結」を実現しようという願望である。

 ケネディは、この「大西洋共同体」こそ「究極には、戦争と圧制の世界を追放して、法と自由選択による世界を達成する上で力となることもできる。……それはすべての自由人――現在自由を有する人をはじめ、いつの日か自由をえようと誓っている人びとすべてが究極の統合体を作るための中核となるものである」(62年7月4日、フィラデルフィア演説)とのべたが、ここにはケネディの世界政策が、現代修正主義者の称する社会主義体制との平和共存をめざすものではけっしてなく、アメリカ帝国主義を首領とする帝国主義の「神聖同盟」を中核として世界人民をドレイ化する帝国主義的制覇を追求するものであったことが、はっきりとのべられている。

(ロ)社会主義体制の破壊  「負け犬の戦略」の第二の柱は、一方では、「共産主義の世界侵略の野望」というデマゴギーを宣伝して「自由の敵」――社会主義と共産主義の「封じ込め」をねらい、同時に他方では、強大な社会主義体制の「弱点」をつき、それを最大限に拡大して反撃のための時をかせぎ、社会主義体制の破壊をねらう反社会主義計画であった。

 まず社会主義体制のなかでもっとも強大な防衛的軍事力をもつソ連にたいしては、アメリカの絶対的「核優位」と核戦争から「生き残る」保障が確立するまでは当面全面衡突を避け、一方では「核脅迫」を武器としてアメリカの国家の利益に直結する諸問題では一歩もひかずに対決しながら、他方ではその国家的利益を侵害しない部分的問題については大胆な交渉と協定をめざして行動し、社会主義世界の分裂や、社会主義社会への資本主義の浸透をめざして策動する。1959年のフルシチョフ首相の訪米時の演説で早くもケネディは「ドイツやヨーロッパや、あるいは国連における基本的立場」についての食い違いは「どんな交渉によってもなくすことはできない」と指摘しつつ、アメリカ帝国主義の侵略政策を追求しながらも米・ソ間で「同意に到達しうる可能性のある分野」として、(1)軍拡競争の重荷からの解放、(2)核戦争の回避、(3)核拡散の防止、(4)核実験による放射能汚染の防止、(5)文化交流の5点を欺まん的にあげていた。一方における61年のベルリンと62年のキューバをめぐる核脅迫、他方における63年の部分核停条約などは、ケネディが基本的には社会主義体制にたいして攻撃的な侵略態制をとりながら、一たび自己の優位を維持しつつ社会主義体制を弱体化するうえで交渉と部分的協定が有利であるとみなしたならば、ただちに欺まん的な交渉政策をも併用する路線をおしすすめたことを示している。

 このような対ソ政策と結びつけて特別に重要な意義を付せられたのは、社会主義体制の分裂の挑発である。ケネディは58年8月14日、上院でこう演説している。

「われわれは今や共産圏を分裂させる方法を見つけ出すべきである」。

 分裂政策のねらいは、第一に「ソ連のアキレス腱」とケネディが呼んだ東欧諸国とソ連とのあいだ、第二に中国とソ連とのあいだに向けられていた。

 すでに上院議員時代、東欧の「衛星国」こそ「最大の希望をかけうる地域」であるとしたケネディは、大統領就任後、「われわれは東欧諸国民の究極的自由と福祉へのわれわれの希望をけっして忘れてはならない」(1961年1月『一般教書』)と強調して経済援助のためのバトル法修正を要求し、修正主義の中心たるユーゴスラビアの大使にはジョージ・ケナンを任命して分裂工作の布石をかため、部分核停条約成立後は対東欧工作を一段と活発化させた。ケネディによれば、東ヨーロッパは「ソビエト圏の中ではくずれやすい地域」であり、「いうまでもなくもっとも攻めやすい地域」(『大いなる論争』、544~5ページ)なのである。

 東欧諸国の「脱落」以上にケネディが期待をかけていたのは、ソ連と中国の分裂の可能性であった。60年10月、ニクソンとのテレビ討論において、質問者の「今後4年ないし、8年内に、わが国はどの地域で共産主義に対抗して攻勢に出ることができるでしょうか」との問いにたいし、ケネディは第一に東欧をあげたのち、つぎのように答えた。

 「第二には、ソビエトと中共との関係です。両国はいまイデオロギー論争――つまり、戦争は世界を共産化するための手段として妥当かどうか、あるいは破壊活動や浸透作戦や経済闘争やその他もろもろの手を使うべきや否やについて、論争しております。この論争の成り行きがどうなるかは何ともいえませんが、アメリカの次期大統領は、その成り行きを注意深く見まもる必要があると思います。もしこの両国が仲間割れすることにでもなれば、世界全体を通じて、大きな影響をおよぼすことになりましょう」(『大いなる論争』、545ページ)。

 現代修正主義者が、社会主義体制を分裂させようとするアメリカ帝国主義者のこのような陰謀にもし気がついていないのだとすれば、それは政治的おめでたさの一種であるが、もし気がつきながらもそれを軽視し、その暴露をひかえているのだとすれば、それは事実上はアメリカ帝国主義の社会主義破壊工作に手を貸していることを意味するほかはないであろう。

(ハ)アジア・アフリカ、ラテンアメリカ諸国にたいする侵略と抑圧 「負け犬の戦略」の第三の柱は、帝国主義の植民地体制の世界史的崩壊が進行しているアジア、アフリカ、ラテンアメリカ地域で新しい植民地主義を実行し、民族独立運動を弾圧して植民地体制の崩壊をくいとめ、侵略と奴隷化の政策を強化することであった。ケネディは、社会主義体制と帝国主義体制とが正面から対峙して一種の「手詰まり」と「均衡」が生まれているヨーロッパではなく、アメリカ帝国主義の支配がもっとも激しい矛盾にまといつかれており、民族解放闘争が激しく渦まいているこの地域こそ、両体制の力関係の落差がいっそう発展するか、それとも反対に逆転するかを決するきわめて重要な主戦場であるとみなしていた。

「今日、自由の防衛と拡大のための大きな戦場は、地球の南半分全体――つまりアジア、ラテンアメリカ、アフリカ、および中東――であり、立ちあがりつつある諸民族の土地である」(61年5月『第二の一般教書』)。

 それだけにこの地域にたいするケネディ政策は、きわめて多様な要素によって構成された。CENTO、SEATO、NEATOのような軍事同盟政策、キューバ侵攻のような直接侵略、南ベトナムでのような特殊部隊の大量投入、コンゴ、ラオスでのような内乱の挑発と介入、インドにたいする軍事援助、中南米諸国や「韓国」、南ベトナムのクーデターにみられる露骨な内政干渉と政権転覆、軍事干渉失敗後ラオス中立化に際してとられた交渉政策、大規模な軍事「援助」と経済「援助」、「中南米の進歩のための同盟」、「平和のための食糧計画」、「平和部隊」、「ボイス・オブ・アメリカ」の拡充をはじめとする宣伝教育活動、CIAの陰謀工作等々、硬軟両様のいっさいの手段が動員された。このなかでとくに大きな比重を占めたのは、アジアとラテンアメリカにおける偉大な導きの星としての社会主義諸国家、中国、朝鮮、ベトナム、キューバにたいする悪らつな侵略政策であったことは周知のとおりである。

 (3)さてケネディ政策の新しい衣裳は、以上の危機意識から出発したもっとも凶暴な反撃計画を「共産主義の脅威」という古くさい口実で合理化しながら、それを従釆のアメリカ帝国主義の政府以上に仰々しくもったいぶった「平和」「自由」「進歩」「人間の尊厳」「犠牲」等々の美辞麗句によってこれ以上はできないほど飾り立てることであった。「進歩的」ゼスチュアによる欺まん政策を本格的に採用し、軍事外交的手段とともに反共主義を中心とした思想的手段をとくに重視したことが、いわゆる「ケネディ路線」のきわめて重要な特質を形づくっていた。

 その目的は、第一に人民の反帝闘争の圧力をそらし、第二に動揺分子を欺まんし、中間分子をひきつけて反帝闘争を分裂させ、第三に帝国主義勢力を鼓舞して新しい思想攻撃を組織することにあった。

 ケネディによる人種差別の撤廃、旧植民地の「解放」の支持、中立主義の容認、米・ソ間の「緊張緩和」、核戦争防止と世界平和の維持等々は、修正主義者が信じこませようとしているように、アメリカ帝国主義の譲歩でもなければ、その「悪い面」と矛盾しつつ並存する「よい面」なのではけっしてなく、反対にごまかしの譲歩であり、「悪い面」をおおいかくし、いっそう効果的に帝国主義政策をおしすすめるための武器にすぎない。実際にはそれらのスローガンは、戦闘化しつつある黒人解放運動の改良主義的無害化、旧植民地主義にかわる新植民地主義の強化、中立主義の反共的右翼化、核脅迫にもとづくアメリカ帝国主義の世界支配等々の別名にほかならない。

 以上のようにケネディの「二面政策」とは、第2次大戦後の国際的な階級闘争におけるアメリカ帝国主義のたび重なる敗北の教訓をくみとって、世界の人民にたいする大規模な思想的欺まんと分裂政策で武装した、もっとも巧妙でもっとも危険な侵略的、反革命的な帝国主義政策なのである。このようなケネディ路線を、ふんだんにふりまかれた「平和」の言葉にまどわされて、その欺まんを真の政策転換への前進として美化する現代修正主義理論は、レーニンがカウツキー主義について言ったように、「マルクス主義を、もっとも忌わしい、愚鈍な反革命理論に、もっともけがらわしい坊主主義に変える」(「第二インタナショナルの崩壊」、全集21巻 229ページ)ものなのである。だがこのようなけがらわしいアメリカ帝国主義の美化は、なによりもまず事実によって、アメリカ帝国主義の毎日の行動とそれにたいする世界人民の闘争によって粉砕されざるをえないし、またかならず粉砕されるであろう。

五、米ソ「緊張緩和」と「中国封じ込め」政策

 以上のようなケネディ政策は、発足以来約2年間の模索と試行錯誤、失敗と混乱の連続のうちに、全世界人民の闘争によって内外政策とともに行きづまりつつあったが、62年秋の「キューバ危機」と中印国境紛争、およびそれらをめぐって顕在化した国際共産主義運動内部の意見の相違を好機として、新しい攻勢に出る転機をつかみ、その「大戦略」なるものを一つの具体的な形に結晶させるにいたった。ケネディ外交に「好機」をもたらしたこの三つの要因について、ケネディ自身がつぎのようにのべている。

 「いまはすべてが転換点に達した時期だと思う。多くの問題があるが、なかんずく、キューバ事件は、米ソがはじめて真向から対立し、双方が核戦争にまで至る恐れのある軍事力を行使する可能性をはらんでいた。このことは重要な事実である。
第二に世界でもっとも大きい二つの国――中共とインドの紛争がある。ソ連が多年にわたってインドへの友好政策を進めてきたときに、中共がインドを攻撃した事実である。
第三に、中印紛争とキューバをめぐる米ソの紛争の結果として、ソ連、中共間に生じた関係がある。それは現在をきわめて重要な時期にしている」(1962年12月16日の大統領テレビ会見)。

 勇躍してこの三つの要因を結びつけ、「戦争」の手口と「平和」の手口を巧妙に使いわけてケネディが描きだした反動的な構図は、中国とソ連の見解の相違をもっとも効果的に利用し、さらにそれを拡大するねらいをもって、一方では米・ソ間に一定の「やわらぎ」を作り出し、他方ではアジアにおける「中国封じ込め政策」を中心として、各個撃破的にアジア、ラテンアメリカの民族解放闘争と社会主義国家にたいする侵略政策を強めるという新しい戦略体系であった。

 すなわち、「キューバ危機」直後の62年12月3日、ワシントンでひらかれた第2回日米貿目勿経済合同委員会の席上、ケネディは「われわれの現在の問題は、スターリン哲学と結びついた中国共産主義の台頭にともなって、中共をアジアにおける支配的地位に進出させないよう、われわれがどのようにして共産主義の拡張を封じ込めるかにある」と演説し、ラスク国務長官は「キューバ危機後のつぎの東西の対決地点はベルリンではなく東南アジアであり、しかも相手はソ連ではなくて中共となる公算が強い」とのべて、「中国封じ込め政策」とアジア侵略政策が、アメリカ帝国主義の当面の新しい侵略計画の主軸となったことを明らかにした。

 ついでケネディは、63年6月10日、ワシントンのアメリカン大学でいわゆる「平和アピール演説」をおこない、「ソ連にたいするわれわれの態度を再検討しようではないか」とよびかけ、まず部分核停条約をつうじて、米ソ間の一定の「やわらぎ」を促進する新政策をうちだした。

 こうして63年8月、モスクワで調印された部分核停条約は、一方における米ソ間の一定の「緊張緩和」政策と、他方における「中国封じ込め政策」と有機的に結びつけつつ世界支配政策をおしすすめようというケネディの新計画を前進させるうえで、重要な活気となった。この二つの政策の有機的な結びつきと、アメリカ帝国主義の本質との関連をはっきりとつかむことは、部分核停条約締結後の新しい国際情勢を理解するうえでの中心的な環となっている。

(1)米ソ間の「緊張緩和」政策

 部分核停条約、米ソ直通「ホットライン」敷設、宇宙開発のための米ソ協力の呼びかけ、ソ連への小麦輸出措置、軍事予算の若干の削減等々、63年夏以来、アメリカ帝国主義の手によって急速度で進められてきた米ソ間の一定の「緊張緩和」措置は、いかなる意味でも真の緊張緩和を意味せず、本質的には新しい緊張激化の一つの構成要素に転化しており、アメリカ帝国主義の危険きわまりない新しい陰謀と結びついている。

 第一にそれは、アメリカ帝国主義の対ソ接近が、全世界にわたるポラリス潜水艦配備計画、NATOの「多角的核武装」計画と堅く結びついておこなわれたことが示すように、ソ連の核兵力を「抑制」してアメリカの安全を確保しながら、国際共産主義運動内部の不団結を利用して中、ソを分断し、「自由」のための緊迫した主戦場であるアジア地域にたいする侵略政策の急角度の展開を可能ならしめる目的をもっている。アメリカ帝国主主義はあわよくば米本土を壊滅的な「核報復」から免れさせつつ、アジアにおける限定核戦争をも遂行しうるような条件を作り出そうというねらいまで、「米ソ接近」の意欲の底に秘めているのである。

 第二にそれは、みせかけの「緊張緩和」によって時をかせぎ、その間に社会主義体制を圧倒する軍事的、政治的、経済的力を蓄積しようとする好戦的意図と結びついている。全世界の平和勢力が要求し続けていた全面的な核実験停止と核兵器禁止を拒否して結ばれた部分核停条約が、核兵器の生産と使用の禁止にふれず、同盟諸国にたいする核兵器提供を自由とし、地下核実験を合法化し、3ヵ月の予告で自由に脱退できる等々の内容をもっていたこと、国連においてアメリカ帝国主義が核兵器使用禁止の決議案に依然として反対しつづけていることなどは、アメリカ帝国主義の側におけるこの「緊張緩和」の真の目的が、核兵器禁止と核戦争防止どころか、明白に核戦争準備にある事実をはっきりと示している。

 第三にそれは、社会主義諸国の「自由化」と社会主義体制の「分解」と「多元化」、とくに社会主義国のなかで唯一の核兵器保有国であるソ連の「軟化」、社会主義国の人民の思想的武装解除とブルジョアイデオロギーの復活をねらう陰謀と結びついている。

 第四にそれは、アメリカ帝国主義の外交的「勝利」を宣伝して、低下したアメリカの指導力と威信を建てなおし、先鋭化した帝国主義諸国間の矛盾を調整し、侵略的な「大西洋共同体」を作りあげる政治的意図と結びついている。

 第五にそれは、全世界の人民に「平和の旗手」としてのアメリカ帝国主義にたいする幻想をうえつけ、反帝勢力を分裂させる大規模な政治的、思想的攻勢と堅く結びついている。

(2)「中国封じ込め」とアジア侵略政策

 ソ連との「やわらぎ」を不可欠の条件として、アメリカ帝国主義は、ラテンアメリカにおける「キューバ封じ込め」とともにアジアにおける「中国封じ込め」に特別の重点をおき、これを中心としたアジア侵略政策を気違いじみたはげしさでおしすすめている。

 第一に、アメリカ帝国主義は、社会主義中国の孤立化と、国防力の弱化、社会主義建設の妨害をねらっている。かれらは一方ではアジア地域において核脅迫政策をさらに協力に実行するため地下核実験における小型核兵器の開発に拍車をかけながら、他方では中国核実験近しと大々的な宣伝をおこない、日本その他の核武装化をおしすすめる口実とし、同時に「アメリカはもし中共が原爆実験を開始すれば核停条約から脱退する権利を持つ」(マクナマラ国防長官の63年8月13日の談話)として大気圏内核実験再開の責任を中国におしつける卑劣な陰謀をたくらんでいる。

 第二に、アメリカ帝国主義は、南朝鮮、南べトナム、ラオス、中印国境、キューバ周辺などで軍事緊張を強め、アジア、ラテンアメリカの民放解放闘争を圧殺して、中国、朝鮮、べトナム、キューバなどの社会主義国にたいする侵略計画の策源地をつくりあげようとしている。

 第三に、アメリカ帝国主義は、ビルマ、カンボジア、インドネシアなどの非同盟中立諸国にたいし、あるいは中立的政権を打倒し、あるいはアメリカ帝国主義の側にひきよせる新しい策動を開始している。

 第四に、アメリカ帝国主義は、日本とインドを社会主義と民族解放闘争に対抗するアジア反共戦線の拠点とする計画に乗り出している。

 このようにして、アメリカが当面アジア地域をその戦争と侵略の政策をおしすする重点としているのは、現代修正主義者がいうように、アジアだけが「例外」として「緊張緩和」の世界の大勢からとりのこされているからでもないし、ましてやかれらが許すことのできないデマゴギー的中傷を投げつけているように、アジア地域の共産党が「冒険主義的戦術」をとって帝国主義を「挑発」しているからでもない。それはまさにこの地域こそ、怒とうのような民族解放闘争の発展と、中国、べトナム、朝鮮などの新しい社会主義国の威信の増大と影響力の拡大とによって、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、抑圧と反動の諸政策がもっとも劇的な破たんにおそわれ続け、どんな二面政策も役にたたないどころか、ますます矛盾を激化させるだけに終わるというもっとも深刻な危機が進行し、当面かれらの世界支配計画のもっとも弱い環となっているからにほかならない。危機が深ければ深いほど、くずれゆくその地位にしがみつき、唯一の残された手段として、いっそう冒険主義的な、いっそう凶暴な政策にのりだしてゆくし、またのりださざるをえないのは、帝国主義の法則の一つである。この意味では、アジア地域は、「緊張緩和」の「例外」であるどころか、アメリカ帝国主義の戦争政策の現在の局面における集中点であり、帝国主義支配の矛盾の結節点の一つとなっているのである。

 部分核停条約仮調印後、8月1日の記者会見でケネディはつぎのようにのべて、その凶暴な冒険主義的計画の輪郭を描いてみせた。

 「中共の強硬路線からみて、アジア情勢は悪化の可能性がある。中印国境の情勢は進展している。アジアの他の地域にも紛争が潜在している。……中共が完全な核戦力となるまでには数年間、あるいは10年間もかかるであろう。しかし1970年代までも現在の情勢が持続されれば、それは第2次大戦後われわれが直面したどの危機よりも危険な情勢となる可能性がある」。

 実際にはアメリカ帝国主義は、ソ連からの援助が大幅に削減されている現状が続くかぎり、「予見できる将来には中共があらゆる点で一大近代軍事勢力となることは不可能である」(ヒルズマン前極東担当国務次官補の63年8月20日の演説)と中国、人民の闘争力を過小評価し、その「好機」をとらえて、第2次大戦後の「どの危機より危険な情勢」、すなわち朝鮮戦争や「キューバ危機」以上の危険な軍事挑発と冒険的な侵略戦争のねらいを、中国周辺のアジア地域につけているのである。

 しかし、深刻な危機から脱出するために帝周主義者が策謀すればするほど、かれらの危機はますます深化するのは歴史の弁証法である。アメリカ帝国主義の「中国封じ込め」とアジア侵略政策に抗して、中国人民の社会主義建設と反帝闘争、アジア人民の民族解放闘争はいっそう力強く発展しつつある。中印国境紛争にかけたインド反動派とアメリカ帝国主義の期待は、中国の断固たる侵略阻止行動と平和愛好政策とによってみじめに失敗し、南ベトナムの反帝愛国闘争は勝利に向かって偉大な前進をとげ、カンボジア、インドネシアにたいする圧迫やマライシア問題への介入も手きびしい反撃を加えられ、日本においては日韓会談粉砕と米原子力潜水艦「寄港」反対、“サンダーチーフ”F105D水爆戦闘爆撃機配備反対、軍事基地の撤去と沖縄返還、日中国交回復、安保条約破棄をめざす大闘争が力強く前進している。さらにフランスと中国の国交回復は、アメリカ帝国主義の「中国封じ込め」政策に重大な打繋をくわえ、イギリス、フランスへの軍事援助打ち切りはキューバ封鎖の失敗を明らかにした。

 発足以来わずか1年余にして、早くもその政策は、崩壊の危機に直面している。中国とキューバを孤立化し、アジアやラテンアメリカの民族解放闘争の前進をくいとめようとしてかけたわなは、反対にアメリカ帝国主義自身の首にかかって、ヨーロッパにおける侵略態勢強化のための「多角的核武装」計画の強行はかえってNATO体制の新しい動揺を生み出し、「中国封じ込め」とアジア侵略政策はかえって中国の国際的威信の増大とその平和政策の成功、アジアにおける民族解放闘争のいっそうの高揚によって答えられつつある。アメリカ帝国主義の世界的な孤立化がいますすんでいる。かれらの陰謀は、究極的には完全に失敗することが運命づけられていることが、またしても証明されたのである。

六、アメリカ帝国主義にたいする全世界人民の闘争の強化

 情勢の変転に応じて変化する帝国主義の政策を、一定の鋳型にはめて固定化してはならないことはいうまでもないが、ケネディ政府とその政策の本質が、基本的には、ケネディ個人の個性によるものではなくて、「資本主義の全般的危機の新しい段階」と国際情勢の現在の局面の特質とによって規定されたものであった以上、ケネディ政府に代わるジョンソン政府の登場によっても、その基本的方向は当面やはり維持されるものと考えてよい。

 事実ジョンソンは、就任演説においても、『一般教書』においても、ケネディの計画と政策を忠実にひきつぎ推進する決意を明らかにした。これまでの期間にジョンソン政府が示した政策は、依然として核脅迫とドルの力を武器とし、キューバ、南ベトナムからベルリンまでのあらゆる地域で戦争と侵略の政策を固守すること、資本主義諸国にたいしてはその世界戦略への屈従を迫り、軍事負担の肩代わりとドル防衛への協力を強要すること、民族解放運動を弾圧して新植民地主義を拡大すること、社会主義陣営の分裂と崩壊をねらう策謀をいっそうおしすすめること、「平和」の欺まんを活用して全世界の反帝平和の勢力とその闘争を弱めることなどであった。

 しかし、ジョンソン政府の政策には、ケネディ以後の帝国主義の危機の深化を反映して、いっそうの欺まんといっそうの反動化とが現われていることは見落とすことができない。

 第一に、みせかけの「緊張緩和」政策は、ケネディの部分核停条約による欺まんからさらに一歩を進め、新しく「軍備縮小」と「戦争防止」宣伝が開始されつつある。すでに全人類を何回も全滅できるほどに達した核兵器の蓄積という基礎のうえにおこなわれた核兵器生産計画の若干の縮小、米ソの「やわらぎ」を利用し、「軍事的安全と優位」を維持しつつ財政的必要に対処しようとした国防予算の若干の削減、同盟諸国に「自主防衛」への努力と「自由世界防衛」の負担肩代わりを要求し、あわせてドル危機の緩和をねらった在外基地の整備と在外部隊の縮小などの措置は、フルシチョフ首相への「領土およびその他の紛争と関連した戦争の防止」にかんする欺まん的な回答などによる平和のべールと結びついて、実際には全般的軍縮へ向かう前進が一歩もおこなわれていないにもかかわらず、あたかも輝かしい「軍縮の時代」が始まったかのような有害な幻想をつくりだす役割をになっている。

 第二に「中国封じ込め」政策とアジア侵略政策はさらに強化されつつある。マクナマラ国防長官の南ベトナム派遣、第7艦隊のインド洋進出、ポラリス潜水艦の太平洋配置、F105D水爆戦闘爆撃機を中心とする米軍の核火力の増強、「日韓会談」妥結促進、マライシア問題への介入とインドネシアへの干渉、南ベトナムクーデター、「クイック・リリース」(緊急発進)作戦、北ベトナム侵攻の準備など、一連の強硬措置がアジア地域においてつぎつぎと着手されている。

 これらすべての事実は、アメリカ帝国主義こそ「全世界人民の敵」であるとした「モスクワ声明」の規定は依然として全面的正しさをもち、高くかかげなければならない闘争の旗であることを示している。全世界の人民の、独立、平和、民主主義、社会主義をめざす共同の歴史的事業は、依然としてジョンソン政府をかしらにいただくアメリカ帝国主義と非妥協的にたたかいぬくことによってのみ、偉大な前進をとげうるであろう。

 だがここで、現在われわれの前には特別に複雑な情勢が展開されていることを忘れてはならない。

 「モスクワ声明」が「資本主義の全般的危機の発展が新しい段階にはいった」ことを宣言した以後も、世界資本主義の全般的危機はひきつづき深化し、帝国主義の諸矛盾はひきつづき激化してきた。南ベトムナ情勢の異常な深刻化、パナマにおける反米暴動の突発、国際情勢に激動を与えたフランスと中国の国交回復などの諸事件はそのいちじるしい指標である。ジョンソン政府が「二面政策」による欺まんをいっそう強化せざるをえない事実自身が、国際的な諸関係がますます帝国主義に不利となり、アメリカ帝国主義の戦争と侵略、抑圧と反動の政策がますます挫折するばかりであり、アメリカ帝国主義がますます孤立し弱化しつつある事態の反映である。基本的な力関係は独立、平和、民主主義、社会主義の側にいっそう有利に展開しつつある。

 だが一方、アジア、アフリカ、ラテンアメリカにおける民族解放闘争のとどめることのできぬ力強い発展や、資本主義諸国における勤労人民の諸闘争の前進にもかかわらず、「世界の発展に強力な作用を与える国際的な力」(『モスクワ声明』、前掲パンフレット、2Oページ)である社会主義体制の内部に、また「われわれの時代のもっとも影響力の強い政治的勢力になり、社会進歩のもっとも大切な要因となっている」(『モスクワ声明』、同50ページ)。国際共産主義運動の内部に、「モスクワ宣言」と「モスクワ声明」の革命的原則をふみにじる修正主義的潮流が発生し、重大な意見の相違と不団結が現われている。当面の段階においては、修正主義的潮流がひきおこした国際共産主義運動内部の一定の混乱が、情勢のいっそう有利な方向への発展をある程度おしとどめる要因となり、闘争のある局面とある部分にたいしては、一時的に過小評価を許さない一定の困難をさえつくりだしていることは、否定することのできない事実である。

 基本的に有利な情勢の上につくりだされている、このような複雑、困難な状況を克服し、マルクス・レーニン主義の原則にもとづく、社会主義体制と国際共産主義運動のうち破りがたい統一と団結を回復することは、全世界の人民と社会主義・共産主義の勝利にたいするマルクス・レーニン主義政党のきびしい共同責任であるといわなければならない。マルクス・レーニン主義と国際革命運動は、これまでもいくたびかの試練をのりこえて、絶えず強まり、より高い団結をかちとってきた。現在の試練においても国際共産主義運動が、たとえどのような曲折をへるとしても、かならず最終的にはこの修正主義的潮流とそれがひきおこした不団結とを克服して、より高い段階のより強固な団結をかちとり、理論的にも実践的にもいっそう鍛練され、思想的にもいっそう強化されることとなることについては、一点の疑いもありえない。

 真の統一と団結を回復する上で、アメリカ帝国主義にたいする、したがってまたアメリカ帝国主義との闘争にたいする評価の統一は、決定的意義をもつ問題の一つである。なぜなら、全世界の独立、平和、民主主義、社会主義をめざすすべての運動の国際的統一の重要な基礎は、なによりもまずアメリカ帝国主義という共通の敵にたいする共同の闘争と、その共通の敵にたいする統一的認識にあるからであり、国際共産主義運動の統一もまた、この人民運動の国際的統一を離れてはありえないからである。

 「モスクワ声明」はつぎのようにのべている。

 「帝国主義反動が勢力を結集して共産主義との闘争をおこなっている状況のもとでは、全力をつくして世界共産主義運動を団結させることが必要である。統一と団結は、われわれの運動の力を何倍にもし、共産主義の大業を破竹の勢いで前進させ、敵のあらゆる攻撃を成功裏に撃退するためのたのもしい保証をつくりだす。
全世界の共産主義者は、マルクス・レーニン主義の偉大な教えとその実現をめざす共同闘争で結ばれている。共産主義運動の利益は、兄弟諸党の会議で共同でつくりあげた反帝、平和、民主主義、社会主義のための闘争の共通の課題にかんする評価と結論を各国共産党が連帯して守ることを要求している」(前掲パンフレット、53ページ)。

 81の兄弟党が共同でつくりあげた「モスクワ声明」のなかには、アメリカ帝国主義が国際緊張緩和の政策をとっているなどということについては一言ものべられていない。そこには反対に「アメリカの支配者集団は、挑発と侵略行為によって、パリの首脳会談を決裂させ、国際緊張を強め、冷戦を激化させる方針をとっている」と明確に規定してあるだけである。そこには疑問の余地なく「帝国主義の侵略的本性は変わっていない」と書かれているのであって、けっして帝国主義が平和共存と熱核戦争の防止に向かいつつあるとは書かれていない。くりかえしのべたように、これらの規定に根本的変化を加えなければならないようないかなる基本的情勢変化も、その後生まれはしなかった。変わったものがあるとすれば、それはケネディ政府とジョンソン政府にいたり帝国主義の「二面政策」がいっそう強化されたという変化であり、国際共産主義運動内部に修正主義的潮流が公然化し、帝国主義の新しい欺まんにとらえられ、兄弟諸党の会議で共同して討議することもいっさいおこなわずに、これらの「モスクワ声明」の評価と結論を踏みはずしはじめたという変化である。

 アメリカ帝国主義が戦争と侵略の政策を依然としてとりつづけているにもかかわらず、主として各国人民の闘争によらず、主として外交交渉にたよって「平和共存体制」なるものを実現しようとするならば、そのような路線は実際には、戦闘的な民族解放闘争や革命闘争を抑制することになり、アメリカ帝国主義の欺まん政策を飾り立て、戦争と侵略の政策に手を貸すこととなり、大局的にはごまかしの「緊張緩和」という衣の下で国際緊張をいっそう激化させることとならざるをえない。両体制の平和共存は、絶対にアメリカ帝国主義に譲歩することによってかちとられるものではなく、歴史の法則に死にもの狂いで抵抗するアメリカ帝国主義の反動計画を粉砕する方向に前進することによってのみかちとられるのであり、そのためにはアメリカ帝国主義の本質にたいするマルクス・レーニン主義の原則的把握をいっそうきびしく堅持し、その原則からのあらゆる修正主義的、あるいは教条主義的逸脱にたいして非妥協的にたたかうことが必要なのである。

 日本共産党と日本の労働者階級は、アメリカ帝国主義とそれに従属する日本独占資本の反動支配にたいして一貫して非妥協的にたたかってきた。その路線のかちとった偉大な成果が、アイゼンハワーの訪日を挫折させた1960年の歴史的な安保闘争であり、米日独占という「二つの敵」とたたかい、反帝反独占の民主主義革命の道をめざす日本共産党の新しい綱領であった。この路線に導かれて、いま日本人民は、アメリカ帝国主義の日本核武装化、侵略と戦争の政策に反対し、アメリカ帝国主義と従属的に同盟する日本独占資本の軍国主義復活政策に反対する英雄的闘争をたたかいつつある。

 これらの闘争の発展の過程で、われわれは多くの貴重な教訓を学びとった。なかでも、もっとも重要な教訓は、アメリカ帝国主義にたいする評価こそ、現代においてマルクス・レーニン主義と修正主義者を分ける主要な分水嶺であるということであった。現在すでに開花しきって、その反革命的本質を暴露している日本の修正主義理論は、国際共産主義運動における現代修正主義の代表的なものの一つであるが、その源流は、もとはといえばアメリカ帝国主義の日本支配を否認し、アメリカ帝国主義を日本革命の戦略的な主敵からはずし、主敵を日本独占資本だけに限定しようとした、いわゆる「一つの敵理論」であった。だが日本の階級関係の現実のなかでは、アメリカ帝国主義と真剣にたたかわずには、それと従属的に同盟している日本独占資本とも真剣にたたかうことはできず、また、日本の独立と平和を真にかちとるためにたたかうことはできないのである。

 アメリカ帝国主義からの日本民族の独立の課題を否認した日和見主義的な理論と実践が、たちまちのうちに一方では日本独占資本との革命的闘争の課題をも否認する改良主義的な「構造改革論」に「進化」し、他方では、アメリカ帝国主義の侵略性をも否認する修正主義的な「ケネディ美化論」に転化したのは当然のことであった。この修正主義の開花の過程は、同時に、そのマルクス・レーニン主義と日本共産党にたいする裏切りと敵対の過程であり、さらにユーゴスラビア修正主義者やアメリカ帝国主義との結びつきの過程でもあった。現在かれらは、労働運動、平和運動、文化運動などの大衆運動における反共分裂主義を強め、共産党と統一戦線にたいするもっとも悪質かつ露骨な破壊分子となっている。これがけっして偶然でないことは、以上にのべた経過からいってきわめて明白である。

 そして現在とくに重要なことは、これらの反党修正主義者たちが、国際共産主義運動における意見の不一致を、みずからの犯罪的な修正主義理論の正当化と合理化のために利用し、その分裂主義的策謀の強化に最大限に利用していることである。

 第一に、アメリカ帝国主義にたいする評価の誤りが現代修正主義の根本的特徴であること、第二に、アメリカ帝国主義との闘争を回避する日和見主義は国内反動との闘争における日和見主義と表裏一体であること、第三に、革命運動における日和見主義と平和擁護運動における日和見主義とが堅く結びついていること、第四に、現代修正主義者はきわめて急速に反革命的、反人民的反共主義に転化すること、これらの特徴はけっして日本だけの特殊性にもとづくものではない。国際的な現代修正主義の潮流が、日本の反党修正主義者と多くの問題につきほとんど同じ論理と同じ発想におちいりつつある現状は、前者も放置されれば急速に後者と同じ道をたどる危険があるし、現にたどりつつあることを物語っている。

 国際情勢の現局面の重要な要因となっているアメリカ帝国主義の二面政策は、アメリカ帝国主義を美化する現代修正主義の誤謬と結びついて、たんに国際的な反帝闘争にとってだけではなく、帝国主義体制内部の諸国における革命闘争にとっても、特別に重要な問題となりつつある。高度に発達した資本主義国家であると、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの被抑圧国家であるとを問わず、帝国主義の世界体制内部のすべての国家に多かれ少なかれ支配と抑圧の網の目をはりめぐらしているアメリカ帝国主義との闘争は、これらの諸国の人民にとっては、たんに世界の平和を守る共同の闘争であるだけでなく、同時に完全な独立をかちとり、民主主義と社会主義をめざす革命的変革を実現するうえでのきわめて重要な任務となっているからである。

 現在日本においては、アメリカ帝国主義の二面政策は、その二つが特別に深くからみあって日本人民にたいする攻撃に利用されている。

 第一に、部分核停条約を中心とする米・ソ間の一定の「やわらぎ」は、63年の第9回原水禁大会の分裂策動にみられたように、アメリカ帝国主義の「ケネディ・ライシャワー路線」と右翼社会民主主義者や反党修正主義者との相互の結びつきを強め、原水禁運動をはじめとする統一的大衆運動を分裂させ、反帝闘争の路線からそらせようとする策謀の新しい武器として利用されている。

 第二に、アメリカ帝国主義の「中国封じ込め」とアジア侵略政策は、日本にたいする原子力潜水艦「寄港」やF105D水爆戦闘爆撃機の配備など、日本の核武装化を急速に促進しようとする日米反動のはげしい攻撃となってあらわれている。

 第三に、これらの攻撃にさいして、国際共産主義運動内部の意見の相違と不団結が、反社会主義および反共宣伝、なかんずく反中国と反日本共産党のための策謀を強化する目的に利用されている。それは具体的には日本の反党修正主義者や右翼社会民主主義者が、ユーゴスラビア修正主義者をはじめとする、国際的な修正主義的潮流と思想的にも組織的にも結びつきを強め、それを利用して中国の孤立化を策し、わが党にたいする公然、陰然のかく乱工作と破壊工作を進めようとしていることにあらわれている。

 このような情勢のなかで、ケネディからジョンソンにひきつがれたアメリカ帝国主義の「二面政策」の欺まんに反対し、南ベトナム、ラオス、インドネシアをはじめとする民族解放闘争を支持し、日本軍国主義の復活に反対し、「日韓会談」による米日韓軍事同盟締結とNEATO結成の陰謀を粉砕し、アメリカ原子力潜水艦「寄港」とF105D機の日本配備を阻止し、軍事基地の撤去と沖縄返還をかちとり、日中国交回復を実現し、安保条約破棄をめざす広範な反帝反独占の統一行動を組織し、日本革命の勝利の前提としての民族民主統一戦線の結成のためにたたかうことは、日本人民と日本共産党のもっとも重要な緊急任務となっている。

 その任務を遂行するためにも、この数年来、わが国の民主勢力にたいして組織されできたアメリカ帝国主義美化のイデオロギー攻勢を完全に撃退し、それに協力する裏切り的な現代修正主義者の策謀を粉砕し、その思想的影響を根絶することは、独立、平和、民主主義、生活向上をめざす日本人民の闘争を前進させるうえでのわれわれの思想闘争における中心課題となっている。われわれは、全世界の共産主義運動の綱領的文書としての「モスクワ宣言」と「モスクワ声明」の革命的原則を忠実に守り、日本共産党の綱領の立場を堅持しながら、日本人民のあいだからアメリカ帝国主義にたいするいっさいの幻想を一掃し、アジアと世界の平和を守る闘争およびアメリカ帝国主義とそれに従属する日本独占資本の、日本人民にたいする反動的支配を打倒する革命的闘争を遂行するであろう。その不屈の闘争をつうじて、われわれは、「資本主義から社会主義への移行を基本的内容とするわれわれの時代」(『モスクワ声明』、前掲パンフレット、4ページ)における世界史的任務の一つとしての、全世界人民のアメリカ帝国主義にたいする共同の闘争の勝利に貢献し、マルクス・レーニン主義の原則にもとづく国際共産主義運動の真の統一と団結をかちとって、世界の革命運動を前進させる光栄ある任務に貢献することを誓うものである。


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